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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・安藤宏(国文学者・東京大教授)

    『カストロの尻』 金井美恵子著

    活字に浸る愉悦とは

     「淫する」という言い方がある。ひたすらむさぼる、ほしいままにする、といったニュアンスだろうか。本作は物語と映画に徹底的に「淫」してしまう、その悦楽を描いた小説だ。かつて読んだ小説の一節、映画の一シーンが次から次に頭を駆けめぐり、さらなる連想を呼びこんでいく。そもそも題名はスタンダールの名作「カストロの尼」の題名を、「カストロの尻」と勘違いしてしまう男に由来するのだが、この挿話の醸し出す、ある種ナンセンスな“いかがわしさ”は、実は本書の魅力そのものでもある。彼が場末の「金粉ショー」のダンサーに訳もなく入れ込んでしまうのと同じように、この書でもまた、物語の切片や映像はただひたすら「淫」し、消費し尽くされるべきものとしてある。そこに「意味」など必要ない。そもそも整合的な意味づけほど反文学的な行為もないのだから。

     全一一章はおのおの、ゆるやかな関連を持ちつつも、統一的なプロット(筋立て)は存在しない。前衛写真家、岡上淑子おかのうえとしこのフォトコラージュが随所に差し挟まれ、そこからさらにイメージがあふれ出していく。心象風景の氾濫はんらんはまばゆく、きらびやかだが、反面、幼時の追憶、陋巷ろうこうの生活、異国情緒など、背後には古風なリリシズムが漂い、それがこの書の言いしれぬ魅力にもなっている。

     心引かれるのは「胡同フートン素馨ジャスミン」という小説をめぐる物語。母親の遺品からボロボロになった本が見つかり、「私」は読者としてその内容に思いをせ、そしてそれがまた物語の中の「私」の恋愛に重ね合わされる。「読む」ことと「書く」こととがいつでも入れ替わり得る至福の関係だ。序章と結章には、古今東西数十名の作家のこぼれ話がつづられるのだが、あざといまでに“ブンガク”してみせるその筆致は、活字に「淫」する快楽が衰微しつつある今日の状況への、痛烈な異議申し立てにもなっている。

     デビューから五〇年、金井美恵子は健在だ。

     ◇かない・みえこ=1947年群馬県生まれ。『プラトン的恋愛』で泉鏡花文学賞、『タマや』で女流文学賞。

     新潮社 2000円

    2017年07月10日 05時27分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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