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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・青山七恵(作家)

    『塔と重力』 上田岳弘著

    「個人」からの解放示唆

     個人であるということは、時として(あるいは四六時中)けっこうきつい。何かを個人的に深く思いわずらっているとき、こんなことは人の悩みとしてはしごく凡庸だと俯瞰ふかんすることで苦しみが紛れる場合もあるけれど、そもそもなぜ人類は有史以来同じような煩悶はんもんを個々に重複して経験しなくてはいけないのか? 恨みまじりの問いは宙づり状態で据え置かれたままだ。

     本書にはその問いのはるか先、個人であることから解放された人類の未来を示唆する三つの中短ぺんが収録されている。表題作の主人公、田辺は高校時代に阪神・淡路大震災で共に生き埋めになった初恋の女性美希子を亡くした。二十年後、Facebookを通して再会した大学時代の友人水上は、「美希子アサイン」と称して知り合いの女性を「美希子」として次々田辺に紹介していく。一見突飛な試みのようだが、要素の集合体である一個人のある部分が他者のそれと重複している可能性は完全に否定できない。興味深いのは、あらゆる事象を極端な俯瞰的立場で分析する水上の「神ポジション」語りだ。彼の手による小説内小説では、将来人類が行きつく最終形態として個人の認識主体から肉体がぎ落とされた「座標」という概念が提起される。「座標」化してつながる人類は全てを知り理解することができるが、それは氾濫する「個」が次第にパターンを得て画一化していくSNS文化の当然の帰着を見るようでもある。「個」を脱したヒトはようやく孤独を免れるのかもしれない、しかし一方、そこまでしてヒトがヒトであろうとする志向はなんと孤独なものだろうか。田辺の経験は、雑多でありふれているのにどうしても個の状態から抜けられない現代の私たちを嘆息させ、存在の可能性をめぐってリアルな白昼夢を見させる。とりわけ最後の短篇「双塔」において顕著な、この作家特有の気宇壮大な眼差まなざしを借りて眺める世界の未来像は、次元違いの憂いと祝福に満ちていて圧倒的だった。

     ◇うえだ・たかひろ=1979年兵庫県生まれ。『私の恋人』で三島賞。著書に『太陽・惑星』『異郷の友人』など。

     新潮社 1600円

    2017年09月04日 05時28分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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