文字サイズ
    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・朝井リョウ(作家)

    『もう生まれたくない』 長嶋有著

    訃報で繋がる女性たち

     著者の作品を読むといつも、小説だけが持つ何かが詰まった粒子のようなものが、ページの隙間から漂ってくる気がする。著者は、時間も場所も連続的に生きる私たちのある一部分をそのまま、こちらが切り取られたことにも気づかないほどの繊細さで、こそっと持ち出してしまう。

     大学の診療室に勤める春菜、シングルマザーの美里、美しい容姿の清掃員・神子。震災の年の夏、あるミュージシャンの訃報をきっかけに彼女たちの生きる時間が少しずつ重なっていく。主な語り手は前述した三人だが、やがて、その大学に通う学生や教員、家族なども、日々伝えられる訃報によってつながり、また、自分の人生へと戻っていく。スティーブ・ジョブズ、石川県かほく市落とし穴事件、内海賢二、笹井教授――散らばる視点の接合部分として存在する訃報は、報道の規模も、語り手からの距離感も違う。だが、それらを通過した上で変わらずに生きていくしかない彼ら彼女らの人生は、読み手の心に等しく積み重なっていく。

     特段、大きな展開があるわけではない。といっても、ある語り手の親族や、語り手そのものが亡くなる場面があるため、そのシーンは“大きな展開”になり得ただろう。だが、細やかなリアリティを糸にして縦横に織り上げたような文章が、物語的な盛り上がりを生むことを許していない。起きる出来事の大小に関係なく、そこには発見の種のようなものが眠っているはずで、それらをつぶさに、自分なりに考察できるかどうかが大切なのではないか――フィクションにありがちなずるさを決して採用しない著者の筆致は、優れた小説、ひいては誠実な生き方の定義の一つを示してくれている気がする。

     本文の最後、作中に登場した死者の名前と死因が列挙されている頁を眺めていると、そこに自分や大切な誰かの名前が並ぶ映像が自然に思い浮かぶ。言葉のみで成り立っている本から、言葉にならない生の実感が沸き立つのだ。

     ◇ながしま・ゆう=1972年生まれ。「猛スピードで母は」で芥川賞、2016年に『三の隣は五号室』で谷崎潤一郎賞。

     講談社 1500円

    2017年09月11日 05時27分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    大手町モールのおすすめ
    帆布鞄
    リンク