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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・伊藤亜紗(美学者・東京工業大准教授)

    『欲望と誤解の舞踏』 シルヴィアーヌ・パジェス著

    仏に与えた前衛の衝撃

     命がけで突っ立った死体――創始者の土方たつみがそう形容する、じりじりするような遅さと、極度に緊張した肉体、そして裸に白塗りのグロテスクな見た目が特徴的なダンス、それが暗黒舞踏だ。1950年代末に生まれ、日本を代表する前衛芸術として、かつてない表現の可能性を開拓。バレエのような軽やかさと様式性を美とする西洋の基準とは異なる、東北の農民たちの身振りなどに想を得た踊りである。

     現在、暗黒舞踏はむしろ「Butoh」として知られている。つまり、国内よりも国外の方が、圧倒的に人気があるのだ。そのなかでも特にButohが認知されている国がフランスである。最初に暗黒舞踏がフランスに「輸出」されたのは1978年のこと。本書は、その最初の衝撃以降、暗黒舞踏がどのようにフランス人たちによって受容されていったのか、批評家たちの言説や雑誌の記事などをもとに分析した、フランス人舞踏研究者による労作だ。

     「芸術に国境はない」なんて言われるけれど、国境を越えれば表現は違った意味で理解されるし、その結果変形する。言葉のない芸術である踊りならばなおのことだ。意外だったのは、舞踏が「ヒロシマ」のイメージとともに受容されたこと。焼けただれたような皮膚や声にならない叫びをあげる踊り手の姿が、当時のフランス人の目には被爆者の姿に見えたのだ。

     実は50年代まで、フランスにおいてヒロシマは忘れられていたと著者は言う。原爆投下を正当化する当時のアメリカと、犠牲者として自らを語る日本に挟まれて、公に議論しにくいものになっていたのだ。それが60年代以降、映画「二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)」などをきっかけとして、ヒロシマが人々の意識にのぼるようになる。そこにやってきたのが舞踏だ。誤解は新たなる創造か、正すべき断絶か。本書はそれを考えるための第一歩だ。パトリック・ドゥヴォス監訳。

     ◇Sylviane Pagès=1978年フランス生まれ。パリ第8大准教授。国立舞踊センターのデータベース管理担当。

     慶応義塾大学 出版会 5400円

    2017年09月18日 05時23分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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