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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    土方正志(出版社「荒蝦夷」代表)

    『主の変容病院・挑発』 スタニスワフ・レム著

    SFの巨匠、原点の凄味

     一九四〇年、ナチス・ドイツの侵攻から半年が過ぎた東欧ポーランド。ひとりの青年が一族の故郷に帰って来る。医科大学を出ても、占領中で職はない。ふとしたきっかけで、町外れのかつては修道院だったらしき精神病院に職を得る。奇妙な患者たちと奇妙な医師たちとの共同生活に戦火の気配が漂って、対独レジスタンスが隠れひそむ森にナチスの影がひたひたと迫り、やがて病院にも軍靴の音が。破局が始まる。

     そんな戦争文学にしてホロコースト文学なのだが、この「主の変容病院」がスタニスワフ・レムの小説第一作と知ればおどろく読者も多いのではないか。レムといえば『ソラリス』で知られるポーランドの、世界のSFの巨匠、ハードでストレートな本格SFから宇宙ホラ話、作品そのものがミステリアスなミステリもあれば、あるいは架空の本の書評集に序文集などの非SF作品まで、諧謔かいぎゃく諷刺ふうし韜晦とうかいに満ちて、ときに難解に読者を幻惑する手強てごわくもスケールの大きい一代の思索者である。

     レムその人も本作の主人公と同世代で医科大学を卒業、ポーランドの第二次世界大戦を自ら体験している。だが、レジスタンスに協力し、ユダヤ人の友人をたずねてゲットーに出かけと、その断片が自伝エッセーにつづられるのみで、旧共産圏の検閲体制下、第二次大戦の戦争体験に正面から触れた作品はないと、そんな印象があった。もちろん未訳作品には言及があるのかもしれないが、それにしても一九四八年執筆の本作が第一作なのだから、そうか、ここから全てが始まったのかと、若き日のレムの気迫と凄味すごみに圧倒される思いで一気に読み終えた。

     同時収録の架空書評と評論も、あの戦争への、ナチス・ドイツへの、ホロコーストへの、テロリズムへの、そして二一世紀の戦争への思索の深さと洞察の鋭さが光って、本書はこれからレムを語るのに欠かせない一冊になりそうだ。関口時正訳。

     ◇Stanislaw Lem=1921~2006年。地球外生命体とのコンタクトを描く『ソラリス』などの作品で知られる。

     国書刊行会 2800円

    2017年10月02日 05時26分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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