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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    伊藤亜紗(美学者・東京工業大准教授)

    『うしろめたさの人類学』 松村圭一郎著

    素直な感情で社会結ぶ

     「ありがとうございました!」とお釣りを手渡すコンビニの店員。しかし多くの客はそれを無言で受け取る。なまなましい感情をさしはさまないことが、コンビニという商品交換の場面では、ふさわしい振る舞いだからだ。しかしそんな感情を差し引いたやりとりを毎日のように繰り返すうちに、ふと思うことがある。私が日々生きるために使っている「私の幅」は、相当狭いのではないか? 私は本当はもっといろいろなことをしたり感じたりする可能性を持っているのではないか?

     そんな商品交換のモードに凝り固まった体をたずさえて、人類学者である著者は、エチオピアで生活を始める。システマティックな日本の生活とは一転、エチオピアは贈与の世界である。コーヒーを飲むときは隣近所の人を招くし、街には物乞いの姿があり、かと思えば見知らぬレストランの客から「食べろ」と声をかけられることも多い。先進国から年間数十億ドルの開発援助に加え、食糧援助も受けているという意味でも社会のベースに贈与がある。贈与は、思いや感情を含めた物や金銭のやりとりだ。「うしろめたさ」とは、その起点にある感情である。自分だけがたまたまよい境遇にある、その不均衡に耐えられず贈り物をするのだ。

     ただし本書のゴールは、エチオピアの社会構造を分析することではない。既存の秩序や体制を分析しつつ、では何をどう変えていけばよいのか。著者は「構築人類学」をかかげ、そんな未来志向のまなざしで、社会の当事者として生きることを提案する。「うしろめたさ」のような感情は、私たちを商品交換のモードとは違うところへ越境させる力を持っている。理念や思想ではなく、素直な感情から生まれる行為にこそ、分断されがちな社会をつなぎなおす力がある。エチオピアで毎朝木陰に机を出して日記をつけることが日課だったという著者の、爽やかな文体でつづられた力強い信念の結晶だ。

     ◇まつむら・けいいちろう=1975年熊本生まれ。岡山大准教授。著書に『所有と分配の人類学』。

     ミシマ社 1700円

    2017年10月30日 05時27分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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