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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・朝井リョウ(作家)

    『編集ども集まれ!』 藤野千夜著

    漫画愛と性の違和感と

     二つの視点が交互に現れる。一つは、八、九十年代の神保町を舞台に、漫画雑誌の新米編集者として奮闘する青年、小笹一夫の視点。一夫は、個性的な編集部員や、梶原一騎、大島弓子、中崎タツヤ、岡崎京子など高名な漫画家たちと共に、好景気な出版業界を東奔西走する。

     もう一つは、現代の東京を舞台に、小説家として様々な街を巡る笹子の視点。当時のことを書くため、会社員時代からの友人と、自らの記憶に根付いた景色を再訪して回る。

     小笹一夫と笹子。二人の語り手は同一人物であり、かつ、著者自身である。

     一夫はある日、スカートをはいて出社する。友人たちは彼を笹子と呼び、これまでと変わらず接するが、会社からは男らしい服を着なければクビだと脅される。自分の中にある「女性=スカート」という定義付けに疑問を抱きつつも、笹子は自分を貫き通す。出版社を退職後、芥川賞作家となった著者の自伝的長編小説だ。

     主人公が抱える性の違和感、そこから派生する解雇や失業などの出来事は勿論もちろん、物語の中の大きな要素だ。だが著者は、そのときの葛藤や悲しみを生々しく吐露しない。読者としては、そこはもっと感情的になるのではと思うような場面でも、笹子は自身に降る言葉や現象を甘受する。いくら抵抗したところで、心や体に理由なく搭載されているものは変わらないのだ。同じように、主人公が抱く漫画への熱い愛も、編集者という職をひどい理由で奪われようが、全く揺るがない。職をくした日々の描写にさえ悲壮感が漂っていないのはきっと、大好きなものがある人間だけが内包する海のような豊かさが、どのページからもあふれ出ているからだろう。

     過去を美化して懐かしむ本でも、かつて受けた不当な扱いに恨み言をぶつける本でもない。漫画があってよかった、と思わずつぶやいてしまうような人たちが多く登場するこの本に出会えてよかった――読後、そう呟きたくなった。

     ◇ふじの・ちや=1962年福岡県生まれ。95年『午後の時間割』で海燕新人文学賞、2000年『夏の約束』で芥川賞。

     双葉社 1700円

    2017年11月13日 05時27分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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