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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・三浦瑠麗(国際政治学者・東京大講師)

    『東芝の悲劇』 大鹿靖明著

    既視感ある組織文化

     東芝が傘下に収めた米ウェスチングハウス(WH)に巨額損失が発生して経営破たんし、東芝本体も不正会計疑惑をめぐり上場廃止一歩手前になった。歴史に刻まれることになるだろう東芝の凋落ちょうらくとその淵源えんげんを、これでもかというくらいに執念深く追いかけたのが本書である。

     アメリカ仕込みで物腰が柔らかく、記者たちに評判の高かった西室泰三氏を中心に、東芝幹部らの失敗に下される著者の評価は厳しい。一文一文がまるで鉄槌てっついのように食い込んでくる。チェック機能が形骸化し、企業倫理が失われる。幹部は出世競争や派閥争いにかまけ、メディア映えばかりを気にする。「誰のための会社か」。そんな疑問を抱く読者は多いだろう。

     しかし、本書の記述を抽象化すればするほど、東芝の悲劇には圧倒的なまでの既視感がある。日本の会社は、生産方式を確立し、主力分野で改善運動を行う際には組織文化のいい部分が出る。しかし、想定していなかった事態に関しては情報を隠蔽いんぺいし、問題を直視できない悪い部分が出てしまう。そんな組織文化の悪い部分は、会社が「会社員のため」にあるという「美風」に原因を求められるのではないかと思う。会社は利益を出すためのもの。そんな当たり前の概念すら浸透しない結果、社名や幹部の栄誉、組織防衛に邁進まいしんする風土が形成されてしまう。

     同時に、本書で東芝の運命を辿たどるとき、良い会社と悪い会社、良い買収と悪い買収の違いもおのずと見えてくる。「何で食っていくのか」という問いを見据えない経営は、悪い経営だ。

     東芝は天才を欠いていた。原因を詰めればそれだけだったのかもしれないとさえ思う。組織延命と自己利益に東芝が迷走した経緯、そしてそんな東芝の主力事業を奪い、本体の社名と国産半導体技術だけを救おうとした経産省とメガバンクの対応を思う時、東芝の末路は日本人として限りなくかなしい。

     ◇おおしか・やすあき=1965年生まれ。ジャーナリスト。著書に『ヒルズ黙示録 検証・ライブドア』など。

     幻冬舎 1600円

    2017年12月04日 05時24分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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