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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・伊藤亜紗(美学者・東京工業大准教授)

    『震美術論』 椹木野衣著

    災害の記憶伝える表現

     約450ページの、今どのあたりを読んでいるのか分からなくなる。というのも本書の語りには、目の回るような反復があるからだ。日本の戦後美術について、それを成立させている根本的な条件からえぐり出すことが本書の主旨だ。しかしそうした美術の話は遅々として進まず、あるいは容赦なくぶった切られ、日本がかつて経験した地震、津波、洪水等の描写が、長々と挿入されるのだ。綱吉統治下の元禄関東地震における家屋倒壊数から、伊勢湾台風の上陸時の気圧まで、その描写は克明にしてうんざりするほど執拗しつようである。

     この反復的な災害描写は、本書で著者が伝えようとしている内容とも、密接に関係している。私たちは明治期に、西欧の美術を半ば強引に輸入し、現代に至るまでそれを運用してきた。しかしここが日本列島である以上、背負わなければいけない条件がある。それは、日本においては、いかなる文化も、人間には制御不能なきわめて不安定な大地の上に打ち立てざるを得ない、ということだ。人々の生活をむ大災害が、繰り返し繰り返し起こる、このしき場所。「悪い場所」とは、著者が90年代に日本の戦後美術の非歴史性を指して言った言葉だが、本書は、その「悪さ」を地質学的な条件として捉えなおしたポスト3・11の美術論である。

     そんな場所において美術は、「事前の記憶」に関わるべきだ、と筆者は主張する。あまりに災害が多い日本では、災害に「慣れっこ」になってしまい、結果的にまた同じような甚大な被害を出す、ということが繰り返されている。「事前の記憶」を伝える表現とは、たとえば東日本大震災の記憶を、単なる「過去にあった出来事」としてではなく、「必ずまた起こること」として伝えるような美術だ。本書に著者が書きつけた執拗な災害の描写は、「災害の常態化」というまどろみから私たちを目覚めさせるアラートだったのである。

    さわらぎ・のい=1962年生まれ。美術批評家、多摩美術大教授。著書に『反アート入門』『後美術論』など。

     美術出版社 4200円

    2017年12月11日 05時25分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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