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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・朝井リョウ(作家)

    『光の犬』 松家仁之著

    土地と人生、家族の110年

     舞台は北海道。主人公は、架空の町・枝留えだるに暮らす添島家の人々。物語の時間軸は、助産婦の祖母・よねが生まれた一九〇一年から、五十歳を超えた孫の始が大学教授の職を辞し地元に戻るまで、約一一〇年間にもその網を広げている。一族三代を巡る日々には常に北海道犬がおり、イヨ、エス、ジロ、ハル、四匹それぞれのエピソードが随所に挟まれることで、人間同士の関わりだけでは表層化しない一面があらわになる。ビートルズに魅了された始の青春、姉・歩の初恋とそれから、北海道犬展覧会で優勝を目指す父・眞二郎と専業主婦の母・登代子の胸中、父母の隣家に暮らす独身三姉妹の一枝、恵美子、智世の過去と現在……文章そのものが美しいので、時間と視点が自由に飛び移る複雑な構成でも、不快さは全くない。どこに運ばれるのか予想させてくれないまま、著者の文章の船は一一〇年間をたっぷりと渡りゆく。

     この本のあらすじを読んだとき、私は勝手に、血のつながりゆえの言葉にしがたい愛情が時空を超えて飛び交うような、心温まる物語を想像していた。しかし濃厚に匂い立ってきたのは、血の繋がりゆえのわからなさ、家族だからこそのぎこちなさのほうだった。特に物語の後半、始の視点で描かれる両親と三姉妹の老いの描写、そのリアリティは読んでいてせ返りそうになる程だ。根付いた土地、続く血筋、一見強固に感じられるものの裏にあるどうしようもないもろさ。そこを描かれたときにこそ人間を感じられるのは、皮肉な真実である。

     各語り手の“瞬間”が印象的に描かれる。ページめくごとに、それぞれの瞬間からにじみ出る何かが意外なところで手を取り合い、人生という長い線を紡ぎ始める。本を閉じるころには、いくつもの線は寄り添い面を成し、私たち読者を映す鏡となっている。短い時間で気軽に味わえる娯楽が持てはやされる風潮の今、腰を据えじっくりと贅沢ぜいたくに味わいたい一冊だ。

     ◇まついえ・まさし=1958年東京生まれ。編集者を経て、2012年発表の『火山のふもとで』で読売文学賞。

     新潮社 2000円

    2017年12月18日 05時28分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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