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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・土方正志(出版社「荒蝦夷」代表)

    『火の後に』 片山廣子翻訳集成

    大正文化の豊かな香気

     片山廣子は大正期を中心に活躍した歌人・翻訳家・エッセイストである。明治11年(1878年)、外交官の娘に生まれ、東洋英和女学校を経て、佐佐木信綱門下の歌人として短歌・随筆を発表、やがて得意の英語を駆使して英米文学の翻訳にも取り組んだ。本書はその翻訳集成。W・B・イエーツ、ロード・ダンセイニ、D・H・ロレンス、トマス・ハーディ、ジョンストン・マッカレーなどなど欧米の文豪たちの小説(探偵小説も!)や戯曲や詩を流麗な日本語に縦横無尽に移した。「文豪」といっても彼女には多くが同時代人だったわけで、本書にも『シング戯曲集』のためにイエーツに依頼した「日本語版への序文」があるほか、ダンセイニとも文通していたなどの逸話を残す。別名義に、松村みね子。

     大正時代の翻訳とは思えない闊達かったつ自在にたおやかな魅力あふれるその文章を読めば、森鴎外・坪内逍遥しょうよう・上田敏・菊池寛・室生犀星、そして芥川龍之介らが彼女の文才に賞賛を惜しまなかったのもなるほどうなずける。「芥川最後の恋人」として、堀辰雄の『聖家族』などのモデルとして文学史に名を残すが、その人生を知らずとも、現代の読者も存分に楽しめる、ある時代における英米文学傑作アンソロジーとなっており、さらにこれらの翻訳がなされたおよそ百年前の「大正」の文化の豊かな香気も確かにここにある。

     とはいえ、人生は続く。読後感があまりに鮮烈だったため、次々と著書・訳書を手に取った。どれもが私を幸せな気分にさせてはくれたものの、本書の華やかな時代を経て、戦争の時代へ、そして戦後の生活へ。昭和30年(1955年)に日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した晩年のエッセー集『燈火節とうかせつ』は、老いの身をひとり養いながらの日々の暮らしを淡々と端整につづり、その静けさが逆に彼女が生きた激動を思わせて、読者を圧倒する。昭和32年(57年)没、享年79。本書を気に入られたら、ほかの著作も、ぜひ。

     ◇かたやま・ひろこ=歌集に『翡翠』など。本書収録は短編『アドルフ』(ロレンス)、詩篇しへん『新月』(タゴール)など。

     幻戯書房 4600円

    2018年01月29日 05時24分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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