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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・伊藤亜紗(美学者・東京工業大准教授)

    『白百』 原研哉著

    デザインの本質に迫る

     電車の中で数ページ読んで、うっかり落涙してしまった。小説ではない。無印良品のアートディレクションなどで知られるデザイナー原研哉による、「白」をめぐる百編のエッセイだ。研ぎ澄まされた筆の力、それによって導かれる感性の動き。心が快感に震え、えた幸福感に満たされる。理知的なのに大らかで温かい。

     たとえば紙の白さ。汚れやすく傷みやすいそのまっさらな緊張感が、いかに人間の創造意欲を刺激し、何かを成し遂げようとする情動をき立ててきたか。逆にチョークの白さも忘れてはいけない。数学者が黒板を愛用するのは、考える速度で数式を書きつけていくチョークの運動が、数を扱う頭脳の働きを刺激し、促すからだろうと著者は言う。あるいは子供の頃に、傷口を保護するために用いられたガーゼ。黄色い化膿かのう止めが染み出すさまに、手当てされているという安堵あんど感が広がる。近年の怪我けがを未然に避ける風潮や高機能な絆創膏ばんそうこうの登場で、影を潜めつつある「白」だ。

     興味深いのは、語られるのは必ずしも白いものばかりではないことだ。「正方形」「小数点」「わたし」など、白くないもの、それどころか実体のないものまで登場する。著者は、白を単なる色の属性を超えたものと見る。白は「輝き」であり、「混沌こんとんを背景に何かが鮮明に立ち現れてくる様相」だ。それは「かたちをなす意志」に他ならず、つまりは著者の本業である「デザイン」に通じる。雑音に満ちた複雑な環境を観察し、それを改変することによって、人々の認識をハッと目覚めさせる営み。著者は白を反芻はんすうしながら、デザインの本質に迫っていく。

     私が流した涙にも色があったのかもしれない。主観で言えば、うれし泣きはだいだい色、悔し泣きはにび色、悲しくて泣くのは深緑。感性が開かれる愉楽、ただそれだけで、こんなにも生きる力のようなものが湧いてくるものか。本書が心に降らせる涙は、まばゆく光る白だ。

     ◇はら・けんや=1958年生まれ。グラフィックデザイナー、武蔵野美大教授。著書に『デザインのデザイン』。

     中央公論新社 1900円

    2018年02月12日 05時26分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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