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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・坂井豊貴(経済学者・慶応大教授)

    『裁判の原点』 大屋雄裕著

    ドラマよりスリリング

     「法廷もの」はテレビや小説で人気が高いジャンルである。主人公が真実を明らかにすべく奮闘して、最後には正義が勝つ展開が多い。時代劇でも、遠山の金さんが町人にふんして潜入調査を行い、悪を裁くのは痛快である。現実の裁判にもこうした勧善懲悪のイメージをもつ人は多いのではないか。

     だが裁判所は「私の正義」をかなえてくれる機関ではない。たとえば民事裁判では、当事者の主張と、当事者が提出した証拠に基づき、判断が下される。もし裁判官個人が、その証拠が捏造ねつぞうされたものだと偶然知っていても、それを判断の根拠にしてはならない。お奉行様による潜入調査などはもってのほかである。

     これのみならず、本書では裁判についての通俗的なイメージがことごとく覆される。憲法に関する議論も多い。たとえば日本の裁判所は違憲判決を滅多めったに出さないことから、よく消極的司法と評される。だが著者は、憲法以外の領域では、積極的な面が多いと指摘する。「判例法理」の活発な形成はその例だ。これは判決のなかで形成され、その後、法律のような役割を果たす判例のことだ。たとえば日本の労働基準法は、整理解雇をごく限定的にしか認めていない。これはもともと裁判所が判例法理として形成していたのを、後に国会が労働基準法を改正する際に、法律として組み込んだものだ。憲法で国会は「唯一の立法府」とされているが、実態はそう単純ではない。

     民主制のもとで、裁判という制度をどう用いるべきなのか。著者は、司法府に立法府の役割を担わせるよりは、立法府の働きを改善するほうが適切だと論じる。また、訴訟を政治アピールの手段として用いることには「寄生的な利用」と手厳しい。こうしたテーマは容易ではないが、本書は平明な対話式で書かれており、内容をつかみやすい。著者の率直かつ遠慮のない語り口は、大抵の「法廷もの」テレビドラマよりスリリングである。

     ◇おおや・たけひろ=1974年生まれ。慶応大教授(法哲学)。著書に『法解釈の言語哲学』『自由とは何か』など。

     河出ブックス 1500円

    2018年02月19日 05時26分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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