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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・朝井リョウ(作家)

    『百年泥』 石井遊佳著

     インドのチェンナイで日本語教師をしている女性が、百年に一度の大洪水に遭遇する。川を流れる大量の泥から顔を出す、人々の生活を物語る事事物物が、主人公の頭を様々な時空へ導く。日本語を学ぶ現地のエリートとのユーモラスな会話等、今の自分を取り囲む現実は勿論もちろん、自らの過去、自分ではない誰かの人生――主語すら問わないエピソードたちがページの上で気まぐれに踊る。実際にインドで暮らす著者の実感や仏教的な思想を内包する文章には、小説が持つ本来の自由さ、寛容さを再認識させてくれるような独特な魅力がある。

     終盤に描写される、人生は「不特定多数の人生の貼り合わせ継ぎ合わせ」だという気づきが印象的だ。一見荒唐無稽にも感じられる物語の世界観があまりに地に足の着いた人生観から生まれていることに、私は胸を打たれた。確固たる私が存在するという幻想にまれないことは、世界の全ては自分と地続きである実感をもたらす。差し込まれる貧困の描写を他人事として読ませないのは、著者の真摯しんしな生き方が小説全体に反映されているからなのだろう。

     新潮社 1200円

    2018年02月19日 05時25分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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