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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・宮下志朗(仏文学者・放送大特任教授)

    『ブータンの瘋狂聖 ドゥクパ・クンレー伝』 ゲンデュン・リンチェン編

    奔放な聖人、ヒーローに

     昔々、チベットにドゥクパ・クンレー(1455―1529)という風変わりな雲水がいた。チベット仏教「ドゥク派」の名門出身の彼は、仏の教えはむろんのこと、神通力・変幻自在力など成就者の能力を身につけると、「風まかせに旅に出て、修行に励もう」と遊行者となる。

     チベット、ブータンを物乞いをしながら、常軌を逸したふるまいによって民衆に仏教の真理を教えた。村に行くと、酒を所望するのみならず、「美女をくだされ」とのたまって、その男根を「智慧ちえの金剛」となし、まぐわいにより女たちを清めては、悟りを開かせた。「女たらしのクソ坊主」とののしられても、平気の平左。ために「瘋狂ニョンパ」と呼ばれた。「智慧の金剛」からは炎も発射して悪魔や魔女を調伏し、改宗させた。悪魔たちは「穏やかな顔つき」の誓約護法神となった。土着の神を、仏教への帰依を誓う守護神に変身させたのである。クンレーのトリックスターともいうべき奔放な振る舞いは、既成教団への痛烈な皮肉でもあった(はとこのチョギェル師がドゥク派大僧正で、いびられ役)。

     クンレー死して、チベットで逸話集が開板かいはんされるも忘却のふちに沈む。ブータンが「ドゥク派の国(ドゥク・ユー)」として独立したがため、チベット人はドゥクパ(ドゥク派の)・クンレーを「ブータンのクンレー」と思い込んだのだ。この逸話集は、二〇世紀後半、訳者の恩師のフランス東洋学者により発見・紹介されている。

     片やブータンでは、国民的ヒーローとなったクンレーの逸話が口承で伝えられた。ブータン各地の古屋敷や寺院の壁に描かれた極彩色の男根(本書に写真あり)が、人々のドゥクパ・クンレー師への愛慕の情を物語る。型破りの聖人伝を、大僧正が編纂へんさん・刊行し、本書に「ブータンの偉大な仏教僧」「その智慧を親愛なる日本の読者に」と皇太后が「序」を寄せる。「国民総幸福」を唱える国のおおらかさよ。ブータン仏教の本質を照らすユニークな古典。今枝由郎訳。

     ◇Dge ‘dun rin chen=ブータン仏教69代ジェ・ケンポ(大僧正)。在位1990~96年。

     岩波文庫720円

    2018年02月26日 05時23分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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