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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・本郷恵子(中世史学者・東京大教授)

    『畜生・餓鬼・地獄の中世仏教史』 生駒哲郎著

    中世人の「死後の世界」

     人は死んだらどうなるのか? 人はどこから生まれてくるのか? あるいは、人は何のために生きているのか? これらの素朴にして根源的な疑問に答えるために、仏教は地獄・極楽という死後の世界、また因果応報・輪廻りんね転生てんしょう等のロジックを生み出した。なかでも本書がとりあげるのは「十界」という世界観である。

     「十界」は、四聖ししょう六道ろくどうに分かれる。前者は四つの悟りの段階で最高位は仏界、後者は六つの迷いの世界で、天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道から成る。私たちは人道の住人であり、迷いを脱して往生することができれば四聖に達する。そうでなければ六道のいずれかの世界で生死をくりかえす。本書のタイトルとなっている「畜生・餓鬼・地獄」は六道のうちでも「三悪道」と呼ばれる、できれば生まれ変わりたくない世界である。

     著者は説話や絵巻物を素材として、これら三悪道と中世人との関係を語る。仏教は不殺生戒を説くが、この時代に表舞台に進出した武士にとって、合戦や仇討あだうちは避けられない定めだった。ただし誰もが地獄にちるわけではなく、発心・出家して往生する者もあれば、地蔵菩薩じぞうぼさつとのわずかな縁によって、閻魔えんま大王の前から助け出されることもあった。人を殺さないまでも、さまざまな執着が強ければ、牛馬や餓鬼に転生する結果となる。

     豊富に示される事例は、まことに多彩だが、悪道に堕ちるか救われるかには、実のところ確たるルールが見当たらないようだ。本人に罪がなくとも、逆に罪を犯していても、前世の因縁や宿業によって道が分かれてしまうらしい。

     だが生きることにつきまとう不条理が、死後の世界の解釈に反映されたと考えれば、すべてを説明する原則などないのは、むしろ当然だろう。読後に胸に手をあてて、己の背負う業や死後の行く先について思いを深めてみたくなる一冊である。

     ◇いこま・てつろう=1967年東京都生まれ。東京大史料編纂所勤務、日本史史料研究会代表。

     吉川弘文館 1700円

    2018年03月05日 05時27分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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