文字サイズ
    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・苅部 直(政治学者・東京大教授)

    『トマス・アクィナス』 山本芳久著

    生命力に満ちた思想

     西洋中世で最大の神学者・哲学者、トマス・アクィナスについて、日本人の研究者による概説書はこれまで多くない。日本にはクリスチャンが少なく、さらにそのなかでもカトリックが少数派であることが、その大きな原因になっているだろう。現世を超越した神の峻厳しゅんげんさや、きびしい禁欲を強調するようなキリスト教のイメージが一般に流布しているのも、同じ根から生じていると思われる。

     この本は、生涯をたどりすべての著作の内容を紹介するような、通常の概説書の形をとっていない。人が備えるべき「徳」とは何か。まずこの重要な問題に関するトマスの議論を詳しくたどってゆく。イスラーム世界を経由しながら、十二世紀になって西欧にもたらされた「現代思想」としてのアリストテレス哲学の衝撃。それを受けたトマスが、聖書とアリストテレスの著作を読み解いて、整合的に理解しようとした営みから、独自の哲学の特徴が生き生きと伝わってくる。

     「理性と神秘」というこの本の副題が、全体の構図をよく示している。哲学と神学、知性と信仰といった二つの立場の中間派としてトマスの思想は位置づけられるが、それは決して穏やかな中庸や折衷のすすめではないと著者は説く。

     トマスが語ったのはむしろ、人間の理性をぎりぎりまで働かせた先に神秘に到達する過程である。反対側から言えば、人間が理解しうるもの、欲求の対象にできるものとして世界を与えてくれた、神の愛(カリタス)の実在にほかならない。そうした生命力に満ちた思想として、トマスの思想が描きなおされている。

     また、「存在」が隠れつつ現れるというマルティン・ハイデガーの議論や、「語りえないもの」をめぐるルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの沈黙といった、二十世紀の哲学の挿話も連想させる。それはトマスが現代人にも指し示す問いの、時代をこえた意味の表れなのだろう。

     ◇やまもと・よしひさ=1973年生まれ。東京大准教授。専攻は哲学・倫理学。

     岩波新書 860円

    2018年03月12日 05時23分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    大手町モールのおすすめ
    帆布鞄
    リンク