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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・奈良岡聰智(政治史学者・京都大教授)

    『近衛秀麿 亡命オーケストラの真実』 菅野冬樹著

    知られざる人道活動

     第二次大戦下でナチスに迫害されたユダヤ人を、勇気ある人びとがしばしば救ったことは、映画『シンドラーのリスト』や『戦場のピアニスト』でよく知られている。日本人では、外交官・杉原千畝ちうねが「命のビザ」を発給して、約六千人のユダヤ系難民を救った例が著名である。しかし、大戦期に欧州に滞在していた音楽家・近衛秀麿が同様の人道活動を行っていたことは、あまり知られていない。本書は、長年彼の軌跡を調査してきた著者が、国内外の史料を駆使してその実態を明らかにした力作である。

     秀麿は名門華族・近衛家の二男で、兄は首相を務めた文麿である。独学で音楽を学び、一九二四年に二五才で、日本人として初めてベルリン・フィルで指揮者デビューを果たした。以後彼は、指揮者として世界中で活躍し、「マエストロ(大音楽家)」として認められていった。

     一九三七年以降、秀麿は日本の音楽特使としてドイツを拠点に活動した。彼はナチスを嫌い、そのプロパガンダに非協力的だったため、一九四三年七月を最後にドイツ国内での活動を禁止された。しかし彼に敬意を抱くナチス幹部もいた。他方で彼は、ドイツ占領下のポーランドやフランスの音楽家に深い同情を寄せ、彼らとつながるレジスタンス組織とも関係を持っていた。

     そこで彼は、自らの特殊な立場をかし、ドイツのプロパガンダ演奏会の場を利用することで、彼ら音楽家たちの支援を行った。彼はフランスで自前のオーケストラを組織し、多くの音楽家を強制労働から救った。総計約五〇名にのぼるユダヤ人の国外脱出にも協力した。「戦場のピアニスト」シュピルマンやポーランド人音楽家との親交も興味深い。著者は、彼は音楽家としてできる精一杯のレジスタンスを試みていたのではないかと指摘している。名門華族に生まれた秀麿の生き様からは、「ノブレス・オブリージュ(高貴な身分に伴う社会的責務)」という言葉の意味についても考えさせられる。

     ◇すがの・ふゆき=1955年東京生まれ。映像、音楽プロデューサー。著書に『戦火のマエストロ 近衛秀麿』。

     東京堂出版 3800円

    2018年03月19日 05時26分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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