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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・苅部直(政治学者・東京大教授)

    『イスラム教の論理』 飯山陽著

    西洋と相容れない思想

     イスラム教圏の社会や歴史を研究する人はたいてい、「イスラーム」という呼称を好んで使う。内面での信仰にとどまらず、生活の全体を規律する教えだからというのがその理由であるが、そうした特徴をもつのはキリスト教や儒教も同じはずである。また、アラビア語の原音に忠実に「イスラーム」と記せと言うのなら、キリスト教もクリスティアーニスムス(ラテン語であれば)とでも呼ばないといけない。

     本書の著者、飯山陽はアカデミックな訓練を受けたイスラム思想研究者であるが、日本語で広く定着し、文部科学省も学習指導要領で採用している「イスラム教」という言葉を使って論じている。それは、イスラム教が特権的なすぐれた宗教であるかのように語る態度に対する、深い疑念の表われなのだろう。

     しかも重大な問題は、研究者の独りよがりな発言の調子が、イスラム教そのものと堅く結びついている点である。唯一神をひたすらたたえるべき存在として人間をとらえ、イスラム法による統治を全世界に広めるべく戦うことを、絶対的な正義と見なす。それは「穏健」なイスラム教徒も、アルカイダや「イスラム国」のような過激派も、広く共有する思想にほかならない。

     したがって異教徒が「イスラームは平和の教えだ」などと説き、民主主義への賛意を示す人々のみを真のイスラム教徒と呼んで歓迎するならば、過激派をますます憤激させるだけである。それどころか「穏健」とされる指導者たちもまた、自由や人権や民主主義といった西洋由来の思想と、イスラム教とが相容あいいれないものであることを公然と認めている。

     こうした本書の指摘は、専門家の手になるものだけに、衝撃力をもっている。いまやインターネットの普及を支えとして世界のどこでも起こりうるジハードの脅威に対し、あくまでも自由と人権に根ざした秩序を守りきる覚悟はあるか。その問いをまざまざと突きつけてくる。

     ◇いいやま・あかり=1976年東京生まれ。イスラム思想研究者。アラビア語通訳。

     新潮新書 780円

    2018年03月19日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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