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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・加藤徹(中国文化学者・明治大教授)

    『かくれキリシタンの起源 信仰と信者の実相』 中園成生著 『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』 宮崎賢太郎著

    謎に満ちた信仰の歴史

     今年は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産登録の適否が決まる見込みだ。学術的には、江戸時代の禁教期にひそかに信仰を続けた人々を「潜伏キリシタン」、明治のキリスト教解禁後もカトリックに合流せず先祖伝来の信仰を守る人々を「かくれキリシタン」ないし「カクレキリシタン」と呼ぶ。世界遺産登録はけっこうだが、研究者たちは従来の間違ったイメージが増幅されるのでは、と懸念する。芥川龍之介『神神の微笑』や遠藤周作『沈黙』などでもおなじみの「日本人はキリスト教を日本風に変えた」という誤解である。

     中園成生『かくれキリシタンの起源』は、従来の「禁教期変容論」をくつがえす画期的な研究書だ。著者は長年、地元のかくれキリシタンの信仰や儀礼を調査し、16~17世紀に日本で布教した宣教師の記録を丹念に調べた。結果は驚くべきものだった。かくれキリシタンの信仰形態は、現在のカトリックとは異質だ。オラショを呪文のように唱え、聖水を使って病気を治し、日本の神や仏にも敬意を払う。実は昔、西洋から来た宣教師の布教方針は柔軟で、現地にあわせて信仰形態を作った。宣教師が日本から追放されると、潜伏キリシタンは信仰形態を忠実に守り続けた。日本人が勝手に変えたわけではないことを、著者は実証する。

     これと立場を異にする本が、宮崎賢太郎『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』である。禁教期のキリシタンは命がけで先祖伝来の信仰を守り通したが、それはキリスト教ではなく、伝統的な神仏信仰の上にデウスという神も拝む民俗宗教だった、と論証する。宮崎氏の本を読むと、今度はこちらが正しく思えてくる。

     中園氏も宮崎氏も、現地の信仰者たちと真摯しんしに交流し、堅実な研究調査を積み重ねてきた。にもかかわらず、見解はそれぞれユニークだ。なぜか。潜伏キリシタンの歴史はそれだけ奥深く、多面的で、謎に満ちているのだ。

     ◇なかぞの・しげお=平戸市生月町博物館「島の館」学芸員

     ◇みやざき・けんたろう=元長崎純心大教授。

     『かくれキリシタンの起源 信仰と信者の実相』弦書房 4000円

     『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』KADOKAWA 1700円

    2018年04月16日 05時25分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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