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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・伊藤亜紗(美学者・東京工業大准教授)

    『享楽社会論 現代ラカン派の展開』 松本卓也著

    数字が人を裁く時代

     ラカン派精神分析と聞くと、難解そうだと敬遠してしまう人も多いかもしれない。確かに本書は、後期ラカン(およそ一九七〇年代以降)および現代ラカン派の理論を解説している。だが単なる「なるほど」では終わらない。その先で「確かに…」と身につまされるのである。現代を生きる私たちの人間としてのあり方を、社会状況の変化を踏まえて鮮やかに照らしだす。

     現代社会を表す特徴は「象徴界の衰退」だと著者は言う。つまり、「人として○○すべき/すべきでない」という社会的な規範が、かつてのような統制力を失っているのである。私におきてを強いてくる<父>は、確固たる存在ではなくなった。人々は自分の世界に閉じこもり、自分のお気に入りの対象をただひたすら享楽するようになっている。

     ではそんな現代において、私たちを統べる存在は何か。今月の営業成績、サイトの閲覧数、論文の被引用数、SNSでの「いいね!」の数……そう、私たちは日々数字によって評価され、数字によって脅かされている。精神医学の分野でも、患者のふるまいや表情に表れた兆候を医師が読み取るのではなく、「客観性」の旗印のもと、マニュアルにもとづくアンケートによって、診断が行われているそうだ。本書の言葉づかいで言うなら、いまや<父>に代わって「統計学的超自我」が、私たちの番人なのである。良心の呵責かしゃくを感じて「○○しない」のではない。すぐに数字がでないからダメ、規則は規則だからダメ、なのだ。

     人ではなく数字が人を裁く時代。その最大の問題は、いかなる葛藤も、交渉の余地もなくなることだろう。良心の呵責を覚えながらも大義のために裏切りをはたらいたり、長期的な展望に立って例外的な決断をしたりすることは、人としてカッコいい行為であるはずだ。人間のすごみのようなもの、社会の懐の深さのようなもの。それが完全に無力化されるのを恐れている。

     ◇まつもと・たくや=1983年生まれ。京都大准教授。専門は精神病理学。著書に『人はみな妄想する』。

     人文書院 2200円

    2018年04月16日 05時22分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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