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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・塚谷裕一(植物学者・東京大教授)

    『ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』 亀山郁夫著 『ショスタコーヴィチとスターリン』 ソロモン・ヴォルコフ著

    圧政下ゆえの二重性

     ショスタコーヴィチの交響曲を聴くとき、その悲痛な叫びには共鳴を覚え、そして唐突な高揚にカタルシスを得る。この春は改めてその全交響曲を順に聴いてみた。ショスタコーヴィチに関する著書が二つも出たためだ。

     一つはロシア文化論の研究者・亀山氏による評伝。一つはかの『ショスタコーヴィチの証言』の著者・ヴォルコフ氏による著作だ。後者は残念ながら訳も原著の構成もやや読みづらい。重要エピソードは亀山氏の評伝にも引かれているので、一般の愛好家には評伝の方をお勧めする。

     それにしてもスターリン圧政時代のなんたる悲惨なことか!ショスタコーヴィチは、スターリンに「音楽ならざる荒唐無稽」とどん底まで突き落とされたかと思えば、スターリン賞を次々と授与され、別荘や特別俸給まで与えられ賞賛される。しかしその後またしても形式主義者として告発され、どん底へと戻っていく。

     この時代の芸術家の中には、投獄されたり自殺した者も多かった。オーウェルの『一九八四年』さながらの、息詰まる日々。彼の音楽には、見かけ通りではない二重性があるとする二冊の書の、共通する主張には心から納得できる。

     実はショスタコーヴィチの時代は、生物学史上の重大事件、ロシアにおけるメンデル遺伝学の全面否定(ルイセンコ説)ともきれいに重なる。交響曲第五番作曲の頃、ルイセンコが自説でメンデル遺伝学攻撃を開始。交響曲第七番発表の前年に、スターリンの庇護ひごのもとソ連科学アカデミー遺伝学研究所所長となり、メンデル遺伝学者を逮捕するなど弾圧。その後、交響曲十三番と十四番の間に当たる一九六五年までその強権をふるったのである。獄死した犠牲者も出た点、芸術分野と全く同じ状況だった。この同時性には、この時代の異常さを改めて感じる。

     一方、亀山氏の評伝では、サッカー好きだったことや女性遍歴など、作曲家の意外な側面も記される。これらのエピソードを読むとき、読者は一瞬の息継ぎが許された思いがするだろう。

     ◇かめやま・いくお=1949年生まれ。名古屋外国語大学長。専門はロシア文学・ロシア文化論。著書に『はりつけのロシア』『大審問官スターリン』など。

     ◇Соломон Волков=1944年、旧ソ連生まれの音楽学者・ジャーナリスト。76年に米国へ亡命。訳は亀山郁夫、梅津紀雄、前田和泉、古川哲。

     『ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』岩波書店 3300円

     『ショスタコーヴィチとスターリン』慶応義塾大学出版会 5800円

    2018年06月11日 05時27分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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