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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・三浦瑠麗(国際政治学者・東京大講師)

    『ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』 亀山郁夫著 『ショスタコーヴィチとスターリン』 ソロモン・ヴォルコフ著

    特異な時代性との応答

     内気な作曲家ショスタコーヴィチは、いかにしてソ連を代表する芸術家となり、大量に作品を生産しつづけたのか。現代人は、なぜふたたびショスタコーヴィチにかれているのか。この二冊は、自己を作品に刻みつづけたショスタコーヴィチの特異な時代性との応答をひもとき、それらに対する答えを提供している。

     ヴォルコフ氏は早くにショスタコーヴィチ再評価の先鞭せんべんをつけた人である。本作の面白いところは、権力者による優れた芸術家の利用と、彼らに対する嫉妬からくる確執が、ロシア史に表れてきたパターンであるという指摘だ。

     スターリンは人民が宗教に従うことを否定しながら、自らは父たる役割を任じ、ソヴィエト社会主義イデオロギーに身をささげよと要求した。風刺の精神を持つ者にとって、スターリン時代を生きることがいかに危険なことであったか。それゆえ芸術家は本心を隠さざるを得なかったのだとヴォルコフ氏は言う。ここで抽出される作曲家の特徴は、感受性と原初的な恐怖だ。

     他方、亀山氏はショスタコーヴィチとスターリンの応酬を中心に描きつつも、ショスタコーヴィチを、特異な時代を生きたソヴィエト的人間として理解する。自身もイデオロギーに取りつかれ、傷を負った時代固有の経験であったと。

     氏によれば、そのような例外的な生を送ったショスタコーヴィチの音楽が現代人に受けているのは、現代人もまた不確実性に満ちた世の中で迷っているからだ。遅れてきた前衛が、猜疑心さいぎしんの強い独裁者と全体主義の下で絶えざる監視と干渉を受けたことが、つまりグロテスクな時代の圧力こそが、彼の深い自己探求を可能にしたのだと。ショスタコーヴィチは栄光を求め、不確実な人生を生き抜こうとした。彼が最終的に示したものは、普遍的な人間の欲望と苦悩だったのではないだろうか。それは、優れた能力を持つ個人の呻吟しんぎんでありながらも、やはりわれわれの大衆社会に属する苦悩であったのだ。

     ◇かめやま・いくお=1949年生まれ。名古屋外国語大学長。専門はロシア文学・ロシア文化論。著書に『はりつけのロシア』『大審問官スターリン』など。

     ◇Соломон Волков=1944年、旧ソ連生まれの音楽学者・ジャーナリスト。76年に米国へ亡命。訳は亀山郁夫、梅津紀雄、前田和泉、古川哲。

     『ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』岩波書店 3300円

     『ショスタコーヴィチとスターリン』慶応義塾大学出版会 5800円

    2018年06月11日 05時26分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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