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    ロンドンと東京、英国と日本。遠く離れた二つの地を、酒と人の物語でつなぎます。
    イギリスのかたち

    言葉は宙に舞う…「どん底」でシェークスピア(3・終わり)

    学問の本質は「疑うこと」

    • 「どん底」でシェークスピアを語る河合氏
      「どん底」でシェークスピアを語る河合氏

     シェークスピアには膨大な研究書や翻訳があり、論文を書くにはまず、それらに目を通す必要がある。ネイティブに比べて英語力の劣る日本人にはしんどい。英文学のなかでは、とびきりハードルが高い研究分野なのだと聞いたことがある。実際、どうなんだろう……。 

     東京・新宿3丁目の老舗居酒屋「どん底」で、シェークスピア研究者、河合祥一郎氏に聞いてみた。「あー、なるほどね」。河合氏はそう言って一息つくと、「(ハードル)高いっす」と笑顔をみせた。河合氏は、どんな質問にも比喩や例示を交え、即座に答えてくれる。

     「次から次へと新しい研究書が出てくるので、やめてよって言いたくなる。なので、真面目で根詰めちゃう人には向きません。酒もたばこもやりませんというタイプよりも、酒かっくらって楽しくやろーぜみたいなタイプの人の方がむしろいい。『あっ、そういうことね』と、自分なりの感性に支えられた判断をしていかなければいけないので……」

     もちろん、膨大な文献を猛スピードで読む力は必要。河合氏自身、高校時代から英語好き。ラジオの英語ドラマを片っ端からカセットテープに録音して繰り返し聴き、文字に起こして音読した。大学時代はESSの英語劇セクションで活躍。ケンブリッジ大学で博士号を取った。結果、ネイティブの同僚に発音の間違いを指摘するほどの英語力を身につけた。

     それでも河合氏は、英語力より学問に対する姿勢が大切だという。「学問の本質は『疑うこと』。素直ないい子ちゃんじゃ、学問はできない。先生がおっしゃったことに『どうしてそうなる?』『根拠は何?』と問い続けることで初めて学問はできる」

    成り上がり者のカラス?

     シェークスピアだけが今も世界中の人に読まれているが、エリザベス朝時代、イギリスではほかにも多くの劇作家や詩人が活躍した。シェークスピアは、自分で一から筋書きを考えるのではなく、同時代や古典の物語や詩をもとに書き、作品のほとんどに種本があった。

     現在のような著作権の考え方がなく、模倣から独創が生まれると考えられていた時代。シェークスピアがラテン語の教育を受けた出身地ストラトフォード・アポン・エイボン(以下、ストラトフォード)の学校でも、偉大なる原作を模倣することは盗作や剽窃(ひょうせつ)でなく、作文に不可欠な必要条件と教えられた。

    • シェークスピアが埋葬された英ストラトフォードのホーリー・トリニティー教会に設置された胸像((c)VisitBritain/LeeBeel)
      シェークスピアが埋葬された英ストラトフォードのホーリー・トリニティー教会に設置された胸像((c)VisitBritain/LeeBeel)

     同時代の作家ロバート・グリーンは『三文の知恵』で、台詞(せりふ)の盗用を繰り返すシェークスピアを「我らの羽根で美しく身を飾った一羽の成り上がり者のカラス」と批判したというのが定説だった。文中に、シェークスピアの名前こそないが、それに似た「シェイク=シーン」という表現や、シェークスピア作品の台詞を連想させるくだりがあることから、劇場関係者としてのシェークスピアに言及した最初の文献と長く考えられてきた。

     だが、河合氏はグリーンが批判したのはシェークスピアでなく、別な俳優のことだと近著『シェイクスピアの正体』で主張している。

     同書は、没後400年をへていまだに「その正体は別人である」と唱える学者が後をたたないシェークスピアの実像に迫った著作だ。出生や結婚、裁判といったストラトフォードでのシェークスピアの記録は23歳までで途切れている。その7年後、シェークスピアはロンドンで劇団を率いる有名な劇作家・役者になっていた。その間の記録はない。本人の書いた手紙も一通も見つかっていない。片田舎に生まれ育ち、大学教育も受けていない若者が、一体どうしたら、あれだけの戯曲や詩を書けたのだろうかと、様々な臆測が飛び交うことになる。

     同書で、河合氏は作品の本当の著者ではないかと疑われたフランシス・ベーコンら7人の候補を紹介。文献を駆使して、なぜ別人説が出てきたのかも含め、通説を丹念に検証した。シェークスピア学の常識をひっくり返すことが目的だと、冒頭に記している。

     シェークスピアの作品には、「ここは、こういう意味」と先人たちがつけた注釈の積み重ねがある。だが、その注釈を疑って読んでいくと、今までと違ったシェークスピアが浮かび上がるのだという。根拠が不十分な注釈も、「ここをほじくり出すと先に進まないから」と、そのまま残っているからだ。

    シェークスピア・マジック

    • 「どん底」の壁には、たくさんのボトルが並ぶ
      「どん底」の壁には、たくさんのボトルが並ぶ

     シェークスピアが美化され、()(たた)えられすぎたことで、その実像が見えにくくなった側面もある。生前、シェークスピア作品は圧倒的な人気だったが、その死後、王政復古の時代には他の劇作家の芝居に押され、その人気には陰りが見られた。

     貴族の余興として洗練された芝居が好まれた時代、シェークスピア作品は粗削りで田舎臭いと考えられたため、より洗練された作品が好まれた。「シェークスピアは当時、絶対的な存在でなかった。作品には、後から考えるとおかしい部分がいっぱいあり、そうした点を批判されもした」と河合氏は言う。

     例えば、『冬物語』で海のないはずのボヘミアの海岸が登場したり、劇中でいつの間にか時間が不自然に経過していたり。『ロミオとジュリエット』でのバルコニーの場面や、『ハムレット』の冒頭では、あっという間に朝が来る。『オセロー』では新婚初夜を迎えていない段階でオセローが浮気を疑う。河合氏は、こうした時間や理屈を超えた感性の表現を、「シェークスピア・マジック」と呼んでいる。

     シェークスピア崇拝が始まったのは19世紀初頭にロマン派が賛美して以降。「インドを失うともシェークスピアを失うなかれ!」(歴史家トーマス・カーライル)など、著名人が絶賛し、絵画や小説、舞台、映画といった芸術にシェークスピアがあふれ、次第に一大ブランドとして揺るぎない存在になっていく。

     『シェイクスピアの正体』で河合氏は書いている。

     「誰もがすばらしいと褒めるから皆がすばらしいと言う<はだかの王様に感嘆する愚民>状態である。その結果できあがった<シェイクスピア>という肥大した聖像(イコン)によって、シェイクスピア別人説が生まれ、シェイクスピア学者さえもがイコンの影響から逃れられなくなってしまい、史料を正しく読み解けないという事態が生じた」

     河合氏に会うまで、筆者はシェークスピア作品にある種の取っ付きにくさを感じていた。作品を楽しむ上で前提となる知識や経験を持ちあわせていなかったことも大きいが、世界中であまねく評価され、「どこが面白いのだろうか」という素朴な問いかけを許さない雰囲気があった。この作品の良さを理解しない方がどうかしていると言わんばかりに。

     「どん底」で河合氏の話を聞きながら、シェークスピアを知るには、つくられた「シェークスピア・ブランド」の(よろい)をまずはがすことが大切なのだと感じた。作品と時代、人物そのものに向き合わなければ、本当の面白さは見えてこないのだと。 

    言葉の魔術師

    • ワインやビール、ピザが並ぶテーブル
      ワインやビール、ピザが並ぶテーブル

     河合氏が翻訳を手がけた人気伝記作家ピーター・アクロイドの『シェイクスピア伝』は、シェークスピアは筋書きや出来事を考えだすことに興味はなく、むしろ出来事や登場人物を想像し直し、種本にない要素を作り出すことに関心があったとしている。

     作品の魅力は、筋書きより台詞にある。多彩な表現や単語が用いられ、台詞を起源に、今も英語で使われている表現はたくさんある。

     「cakes and ale」(お楽しみ)、「sea change」(大きな変化)、「what the dickens」(一体全体)、「for ever and a day」(永遠と一日)、「the world is one’s oyster」(この世は思いのまま)……。現代英語は、シェークスピア作品と、ジェームズ1世の命によって英訳された『欽定訳聖書』によってできたと言われるほど、その影響は大きかった。

     新しい言葉を作り出すなんて、どうやったらできるのだろう。「今までなかった言葉をラテン語から持ってきて英語風に使ってみたり、従来からある単語を使って新しい意味を持たせてみたりしたら、それが定着しちゃった。今同じことをやったら認められない、ある種のいい加減さがあった。言葉で遊べる時代だったんです」と河合氏は言う。

     台詞は音として聴く者に印象を刻んだから、エリザベス朝時代の演劇の台詞は、一定の規則に基づいている。弱・強のリズムが各行で繰り返される「弱強五歩格」が基本で、1行を10音節で書く。そして、同じ音を重ねてライム(韻)を踏むとさらに詩的な効果が生まれた。

     「二重の縛りのなかで、ある言葉に響き合う言葉は何だろう、という感じでどんどん言葉を探していく。日本で言えば連歌のような言葉遊び。シェークスピアは同時代のほかの劇作家に比べて、この縛りをクリアするのが上手でした」

    【動画】新宿「どん底」で「夏の夜の夢」を朗読する河合祥一郎氏。シェークスピアの文章の魅力は台詞のリズム。戯曲はまるで楽譜のようだと河合氏はいう。キャプションに出てくる「五歩格」とは、1行ごとに弱・強のリズムを5回ずつ繰り返す「弱強五歩格」のこと。(撮影=メディア局編集部 高梨義之)※「芝居こそ真実…『どん底』でシェークスピア(1)」で掲載した動画と同じものです。

    言葉は意味よりも音?

    • 英ストラトフォードにあるシェークスピアの生家((c)VisitBritain/LeeBeel)
      英ストラトフォードにあるシェークスピアの生家((c)VisitBritain/LeeBeel)

     河合氏は新訳を手がけた『十二夜』などで、原文で韻を踏む場所に「☆」などの記号を付けた。「うんざりだ」「耳障りだ」、「花咲き乱れる東屋(あずまや)へ行こう」「心乱れる思いも憩う」などと、韻を踏む形ですべて日本語に訳出され、言葉遊びが楽しめる仕掛けだ。

     『不思議の国のアリス』で知られる同じイギリス人作家のルイス・キャロルの作品の翻訳も河合氏は手がけているが、シェークスピア作品と同様、ライムが多用され、音の響きが重視されている。2人を生んだイギリス文学に潜む精神とは何だろうか。そして、イギリスがなぜシェークスピアという天才を生むことができたのか。河合氏にそう質問してみた。

     「シェークスピアとルイス・キャロルに共通しているのは、言葉の遊戯性(playfulness)。言葉には、意味だけでなく、音やリズムもある。2人は、言葉は意味よりも音やリズムが大切だと考えていたようです。一見、意味がないような言葉遊びが哲学的な思考と結びつき、バカバカしいのに高尚だったり、笑えるのに深遠だったりする。その根底には、イングランドの鷹揚(おうよう)さ、楽しみを善とする、ある種のスピリッツがあるんだと思います」

    スター・ウォーズとシェークスピア

    • 味わい深い「どん底」の照明。まるで舞台装置!?
      味わい深い「どん底」の照明。まるで舞台装置!?

     酒場と劇場はどこか似ている。酒場に酒がある。顧客が思いを巡らせ、言葉を交わし、その夜にしか味わえない体験をする。劇場に芝居がある。役者の台詞に観客がこたえ、二度と再現しえないドラマがそれぞれの記憶に刻まれる。

     エリザベス朝時代、文字を読み書きできる人は少なく、文化はどちらかといえば音声が中心だった。大掛かりな舞台装置がなかった芝居も、目で見るというより、耳で聴く側面が強かったとされる。 

     当時のラテン語教育では修辞学が重視され、発音や話し方を鍛える「演説」や大量の情報を暗記する「記憶術」が教えられた。役者が台詞を記憶し、聴衆の心に長く留めてもらうには、リズムやライムが効果をあげたはずだ。

     酒場の記憶は選ばれた酒の香りや味とともに、心に定着する。この日、最後に河合氏が注文した一杯はハイボール。ウイスキーは「シーバスリーガル」だった。 

     3時間を超す「どん底」での“講義”の締めくくりに、河合氏は映画「スター・ウォーズ」とシェークスピアの共通点を指摘しながら、祈りの大切さについて語った。

     似ていると感じるのは『スター・ウォーズ』でのフォースを信じるという発想と、心眼で真理を見抜くという『ハムレット』の主題。前提にあるのは、目に見えている現実は仮のもので、もっと良い人生があると信じ、祈ることでそれが実現されるという信念だ。

     「目指すべき世界を想像し、祈ることが、私たちを支えてきた。昔の宗教的な社会では、祈りは日常的な行為だった」

     シェークスピアの戯曲にも、祈りの場面が出てくる。例えば『冬物語』の最後、死んだはずの王妃の石像が動き出す場面。王の前で侍女が言う。(像を動かすには)「まず、お胸のうちに 信仰を目覚めさせていただかねばなりません」(小田島雄志訳)

     あるべき世界を想像し、実現を願う。「想いの力」こそが人の生きる力なのに、現代人は、その意識が希薄になってきていると、河合氏は憂えている。400年前も現代も、人間にとって大切なことは、案外と変わらないのかもしれない。

    (メディア局編集部 小坂剛)

    【動画】 新宿の老舗居酒屋「どん底」で、「ハムレット」の有名な一節を朗読する河合氏。独白は、1行ごとに弱・強のリズムを5回ずつ繰り返す「弱強五歩格」で始まり、最後は強い口調の散文へと切り替わっていく。(撮影=メディア局編集部 高梨義之)

    「愚か者の幸せ…『どん底』でシェークスピア(2)」で掲載した動画と同じものです。

    プロフィル
    河合祥一郎( かわい・しょういちろう
     東大教授(イギリス演劇・表象文化論専攻)。1960年生まれ。東京大学とケンブリッジ大学で博士号を取得。著書に、『シェイクスピアの正体』(新潮社)、『謎解き「ハムレット」』(筑摩書房)、『ハムレットは太っていた!』(白水社)、『大修館シェイクスピア双書「ハムレット」』(大修館書店)、『シェイクスピアは誘う』(小学館)。翻訳に、いずれも角川文庫でルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』、シェイクスピアの『ハムレット』『ロミオとジュリエット』『ヴェニスの商人』『リチャード三世』『マクベス』『十二夜』『夏の夜の夢』『から騒ぎ』。ブログは こちら

     

    • 「新訳 十二夜」(角川文庫、河合祥一郎訳)
      「新訳 十二夜」(角川文庫、河合祥一郎訳)
    • 「シェイクスピア伝」(白水社、河合祥一郎訳)
      「シェイクスピア伝」(白水社、河合祥一郎訳)


    連載「酒都を歩く」(英国編)(ぶりてん数寄)が本になりました。

    • 『酒場天国イギリス』(中央公論新社)
      『酒場天国イギリス』(中央公論新社)


    ◆日本の居酒屋を舞台にした過去の連載企画「酒都を歩く」をまとめた『あの人と、「酒都」放浪 ― 日本一ぜいたくな酒場めぐり』(中央公論新社)はこちらから

    2016年05月09日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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