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    イギリスの食や酒、文化や歴史に魅せられた人のインタビュー、イベントやニュースをお届けします。
    インタビュー

    「イギリスらしさ」考…なぜ酒場をパブというのか?

    • 週末、街角のパブは路上に客があふれ出すほどにぎわう(ロンドンで)
      週末、街角のパブは路上に客があふれ出すほどにぎわう(ロンドンで)

     パブやビール、のどかな田園風景、シェークスピアの芝居…。古き良きイギリスの象徴は、どのように人々に受け入れられてきたのだろうか。『パブとビールのイギリス』の著書がある、イギリス文化研究者の飯田(みさお)氏(69)(広島県三原市在住)のもとをたずねた。飯田氏は、釣りを題材に自然の美しさや心の安らぎを説き、「釣り人の聖書(Bible)」と評された『釣魚大全』の翻訳者でもある。飯田氏が説く「イギリスらしさ(Englishness)」とは――。

    パブと市民社会

     イギリスに行けば、都市でも農村でもたくさんのパブがあり、週末ともなるとビールの入ったグラスを持った大勢の人でにぎわいます。パブとは「パブリック・ハウス(public house)」の略。16世紀から「公共の用に供する建物」という意味で使われていた言葉ですが、酒場の意味で使われるようになったのは19世紀から。1859年発行の俗語辞典が最初の用例だと、『オックスフォード英語大辞典』にあります。

    • イギリス文化を研究する飯田氏
      イギリス文化を研究する飯田氏

     もちろん、それまでも酒を提供する場所はありました。街道沿いに巡礼客にエールも振る舞う宿屋としての「イン」、ワインや食事を提供する「タヴァーン」、自家製のエールを売る規模の小さな「エールハウス」。この三つがパブの起源です。安全な飲み水がなかったこともあり、紅茶やコーヒーが登場するまでは、大麦を原料にしたエールが大量に飲まれていました。酔うためというよりも、スープのような栄養源としてです。

     「パブリック・ハウス」と呼ばれる酒場は、市民社会が成立し、経済的、政治的にある程度自立した人たちが酒を飲みながら、歓談するようになったことから、生まれたと考えられます。もともと酒は農作業の年中行事や教会行事、結婚といった祝祭を楽しむ場で提供されていました。農村で土地の集約が進み、都市に農民が流れ込むと、農村から祝祭の場が衰退していく。「一般の人々(the general public)」や「大衆」と呼ばれる、新たな客層が祝祭にかわるものを日常的に求めた。ここから酒場が生まれ、酒が民衆の娯楽となっていくんです。

    動物いじめの風習

    • 再建されたグローブ座
      再建されたグローブ座

     農村から都市に流れ込んだ人には、村落共同体での思い出に浸れる場所が必要でした。シェークスピアに代表される商業演劇も疑似的な祝祭空間を提供します。ロンドンブリッジの近く、シェークスピア演劇が上映されたグローブ座周辺には、見せ物小屋もありました。

     動けなくした熊を犬に襲わせる「熊いじめ」が人気で、そのための熊も飼育されていた。犬が殺されることもある残酷な見せ物でした。熊が手に入らなくなると、代わりに牡牛(おうし)(Bull)を襲わせた。そこから品種改良して生まれた犬がブルドッグですね。牡牛のおなかの下を通り抜けられるように足を短くして、一度()んだら離さない強い顎をつくった。その頃、犬と言えば番犬や軍用犬、狩猟犬でしたし、勇敢な犬がもてはやされた。犬の品種改良が進んだ時期は、イギリスが植民地を拡大した18世紀以降。殖民地を支配したのと同じように、犬の世界も支配できると思ったのかもしれません。

    • 熊を飼っていたことを示す「ベア・ガーデンズ」の住所表示
      熊を飼っていたことを示す「ベア・ガーデンズ」の住所表示

     今でこそ動物愛護の時代ですが、当時は闘犬や闘鶏といった動物を使った残酷な見せ物がたくさんあった。パブのなかにネズミを放しておいて、ヨークシャーテリアに何匹のネズミを殺せるかを賭けた。酒を()んだときの憂さ晴らし、余興でした。

    「悪所」としてのパブ

    • かつて闘鶏が行われていたとされるパブ
      かつて闘鶏が行われていたとされるパブ

     パブは、いろんな意味で「悪所」でした。産業革命の時代になると、仕事を終えた工場労働者が集まり、ビールを呑みながら闘鶏や球技、賭けに興じて、明日への活力を養いました。飲酒は労働を促進させると考えられていたところがありましたが、呑みすぎて仕事ができなくなったり、生活に困ったりしないようにと禁酒運動や節酒運動も起きる。貧しい人や、犯罪者のたまり場になったパブもあれば、労働組合や政党の集合場所になったパブもありました。よからぬ人たちがよからぬことを相談して暴動につながりかねないと、社会のリーダーが心配する向きもあった。酒は民衆支配の一つの方法でしたから、いろんな思惑から、営業時間や税金、営業許可を通じてパブは規制されたんです。

    • 飯田氏のパブに関する著書は中国語にも翻訳されている
      飯田氏のパブに関する著書は中国語にも翻訳されている

     また、アルコール度数が強くて値段の安いジンに溺れる人が出てくると、ジンの使用を抑えるために、健全な飲み物としてビールが奨励されました。

    イングリッシュネスの時代

    • コッツウォルズの古い街並みは、イギリスを代表する田園風景(竹中正道撮影(c)j-tourism)
      コッツウォルズの古い街並みは、イギリスを代表する田園風景(竹中正道撮影(c)j-tourism)

     都会のパブで非日常を味わうのと同じように、釣りも厳しい現実からの逃避という意味がありました。たまの休みに都市から田舎に行って釣りをして、安らぎを感じる。そんなレクリエーションとして釣りの文化を書いたのが、アイザック・ウオルトンの『釣魚大全』でした。魚の種類や釣り方、料理方法から、詩や哲学までを(つづ)った作品で、1653年に初版が出ます。

     それ以降、400を超す版が重ねられますが、コンスタントに読まれたわけではない。19世紀末から20世紀はじめにかけて一番読まれた。鉄道や工場の建設によって田園風景は破壊され、川も汚染される。産業革命の矛盾があらわれた時代でした。

    • 飯田氏所有の『釣魚大全』第5版(1676年発行、ウォルトン生存中の最終改訂版)
      飯田氏所有の『釣魚大全』第5版(1676年発行、ウォルトン生存中の最終改訂版)

     その頃、共通の宝として、古き良きイギリスを見つめ直そうという動きが起こります。産業化する以前の田園風景や、のどかな暮らし。『釣魚大全』に書かれた素朴な交流であり、ジョン・コンスタブルの絵画にある田園風景、エドワード・トマスの詩に書かれた自然が、イギリスらしさ(イングリッシュネス)としてもてはやされます。

     ウイリアム・モリスは植物をモチーフに自然に近いデザインの工芸品を制作し、人間味のある製品こそ真の芸術であると、中世の手工芸に美術の本質を見いだす「アーツ・アンド・クラフツ運動」の中心となります。美術評論家のジョン・ラスキンも、行き過ぎた産業化を嫌い、過去のゴシックやルネサンス芸術に美の本質を求め、古き良きイギリスを見つめ直します。

    曖昧な「イギリス」

    • ロンドン市内にも田園を連想させる公園があり、憩いの場を提供している(ロンドン・フィールズで)
      ロンドン市内にも田園を連想させる公園があり、憩いの場を提供している(ロンドン・フィールズで)

     こうした動きには、大英帝国のかげりがみえるなかで、国民の意識を結束させようという為政者の思惑もありました。文学的なイングリッシュネスとは別に、たがが緩みかけた国民国家をしめなおす必要がありました。古き良き田園風景という遺産のあるイングランドこそが国を代表すべき。そんな国民意識をつくりあげるのに利用されたようにも思えます。

     イギリスの現在の正式な国名「The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」は、イングランドとスコットランド、ウェールズ、北アイルランドを含みます。でも、多くのイングランド人はスコットランドやウエールズ、アイルランドもイングランドと呼んできました。日本語の表現もわかりづらい。イギリスという言葉は、もともとイングランドをポルトガル語やオランダ語で呼んだ言葉から来ています。そこに「英吉利」の漢字があてられて、英国と呼ぶようになる。今ではイギリスも英国も、国全体を表す呼称と理解されていますが、もとはイングランドの意味。どこか曖昧です。

    英文科の衰退

    • 飯田氏の著書の表紙絵に描かれた女神ブリタニア(後列右から4人目)
      飯田氏の著書の表紙絵に描かれた女神ブリタニア(後列右から4人目)

     なぜ、イギリスを研究しようと思ったのかって。難しい質問ですね(笑)。もともと英語教師になるつもりでした。たまたま与えられた機会がイギリスに関係していて、行ってみると懐が深いというか、奥が深い。否定したい部分もたくさんあるけれど、魅力がある。そういうところかなと思います。僕らが若い頃には英文学、英文科が日本の社会で大きな勢力を持っていました。どこの地方都市に行っても、そこに大学があれば文学部に英文科があるような時代だったでしょ。高校、中学の先生は英文科出身の人たちで占められていた。

     もともと英文科はインドで生まれたと言われています。植民地の人間をイギリス化するということが当初の目的でしたが、その後、イギリスに逆輸入され、人間性を育て、チャリティーの考え方を広めようと教育で使われた。人生を豊かにするための文学が、宗教に代わって台頭する。20世紀に入ると、イギリスが世界の文学界をリードしました。

    • イギリス文化について語る飯田氏
      イギリス文化について語る飯田氏

     でも、ここ30年ぐらいですかね。英文科がしんどくなった。本屋さんにいっても文学のコーナーは減り、マニアックな存在になった。文化人類学やジェンダー論といった、他の分野から文学へのアプローチが増えた。僕自身も文学そのものから、イギリス文化へと研究の対象を変えました。最初はシェークスピアを研究しましたが、テキストや背景の知識は到底イギリス人にかなわないと思ったからです。日本の教育界ではいま、英文学の研究者よりも、むしろ海外で実践的な英語、教授法を勉強してきた人たちが求められています。役に立つ英語が大事だと…。時代の流れかもしれませんが、英文学を原文で精読する価値は認められなくなってきています。

    国を維持する難しさ

     日本人がイギリスを知ることにどういう意味があるのかって? どうでしょうか。

     例えば、イギリスを擬人化した象徴(表象)の一つとして、女神ブリタニアがあります。もともとローマ帝国がブルターニュ地方とイングランドの南部地方につくったブリタニアという国の、豊作を祈る神様だったようです。16世紀にイングランドが統一されたとき、イングランド人は自らをローマ帝国の末裔(まつえい)と考え、原点をブリタニアに求めた。日本人にとっての天照大神のような存在でしょうか。

     スコットランドと争っていた時代は、イングランドの象徴でしたが、後にフランスの脅威に対抗するため、イングランドとスコットランド連合のナショナル・キャラクターになる。矛や盾を持ち、強固な軍事力をもつ大英帝国を象徴したかと思えば、ロンドンの貧民を擁護する存在にもなる。時代ごとに様々な使われ方をしてきました。

    • 再建されたロンドンのグローブ座から、テムズ川越しに見える聖ポール寺院
      再建されたロンドンのグローブ座から、テムズ川越しに見える聖ポール寺院

     多民族であり、複数の国が組み合わさってできているのがイギリス。スコットランドの独立投票を見てもわかるように、各地域に独立心があり、国旗や国歌も持っている。日本のように中央集権的でないから、国としての統一を維持するのは簡単ではありません。ユーロ圏に加わらず、EUとも微妙に距離を置き、外との関係も微妙です。

     イングリッシュネス、ブリタニア、ジョン・ブル…。ブレア政権の時代には、クール・ブリタニアというキャンペーンもありました。イギリスは国としての(かじ)取りが難しいから、国民の意識を統一するための象徴やスローガンが常に必要とされるんです。

     日本とイギリスは同じ島国ですが、日本は長く鎖国が続いてきましたし、民族的にも多様とはいえない。イギリスのように王様がフランス系やドイツ系に交代したりといった出来事もなかった。日本人はすぐに何を学べるかという発想をしてしまうんだけど、学ぶ前に、歴史から何を読み取るかが大事。イギリス人は日本以上に複雑な歴史や矛盾を抱えながら、したたかに生きてきましたから。その歴史や文化を、いろんな角度から考えていくことが大切ではないでしょうか。

     <飯田操氏> いいだ・みさお。1946年、兵庫県生まれ。大阪教育大大学院修士課程修了、広島大教授をへて現在、広島大名誉教授。著書・訳書に「エドワード・トマスとイングリッシュネス」(渓水社)、「完訳 釣魚大全」、「釣りとイギリス人」(平凡社)、「イギリスの表象」「それでもイギリス人は犬が好きー女王陛下からならず者まで」(ミネルヴァ書房)、「忠犬はいかに生まれるかーハチ公・ボビー・パトラッシュ」(世界思想社)。

     (メディア局編集部 小坂剛)


    連載「酒都を歩く」(英国編)(ぶりてん数寄)が本になりました。

    • 『酒場天国イギリス』(中央公論新社)
      『酒場天国イギリス』(中央公論新社)


    ◆日本の居酒屋を舞台にした過去の連載企画「酒都を歩く」をまとめた『あの人と、「酒都」放浪 ― 日本一ぜいたくな酒場めぐり』(中央公論新社)はこちらから

    2015年08月18日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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