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    イギリスの食や酒、文化や歴史に魅せられた人のインタビュー、イベントやニュースをお届けします。
    インタビュー

    蜜月の英中…帝国・シティー・紳士(1)

    • パブでくつろぐ習氏(左)とキャメロン氏(AP)
      パブでくつろぐ習氏(左)とキャメロン氏(AP)

     2015年10月の中国・習近平国家主席の訪英で、イギリスと中国は約400億ポンド(約7兆4000億円)にのぼる投資・経済案件で合意した。イギリスは、習氏をバッキンガム宮殿に宿泊させ、豪華な晩餐(ばんさん)会でもてなした。蜜月ぶりは世界に印象づけられたが、背景には、国際通貨として存在感を増す人民元を取り込む戦略を描く国際金融の拠点、ロンドン中心部のシティーがある。シティーは時代時代の新興勢力を取り込み、世界中から貪欲にマネーを集めて成長してきた。実利優先の姿勢は、世界帝国にのし上がったイギリスが20世紀に植民地からの撤退を続けるなかで見せたしたたかさに、どこか通じる。「英中蜜月」を起点に、『イギリス帝国の歴史 アジアから考える』(中公新書)の著者で大阪大教授の秋田茂氏とともに、歴史をさかのぼった。

    ポピーの記憶

     イギリス・バッキンガムシャーにある老舗パブ「ザ・プラウ(The Plough at Cadsden)」に10月22日、キャメロン氏と訪英中の習氏が姿をみせた。2人はカウンターで1パイントのIPA(インディア・ペール・エール)()みながら、自家製タルタルソースのかかったフィッシュ&チップスをつまみ、居合わせたパブの常連客らと談笑した。

    • 第1次大戦から100年を記念してポピーで飾られたロンドン塔(2014年9月撮影)
      第1次大戦から100年を記念してポピーで飾られたロンドン塔(2014年9月撮影)

     ディナー前のひととき。キャメロン氏は以前家族で店に来たとき、娘を店に置き去りにして帰りそうになったというエピソードを披露しながら、習氏をもてなした。キャメロン氏の胸には、戦没者を追悼する「ポピー(ケシ、poppy)」の花のバッジがあった。

    パブのサイトへのリンク

     長期にわたる塹壕戦で多くの兵士が命を落とした第1次世界大戦は、その甚大な被害から、今もイギリスでGreat Warとして国民に強く記憶されている。その終戦記念日(Remembrance Day)にあたる11月11日の前には募金に協力し、ポピーのバッジを胸につけるのがならわしだ。戦場に咲いたポピーの花が詩によまれたことにちなんだもの。バッジとなったのはヒナゲシだが、同じケシにはアヘンの原料となるアヘンケシもあり、ポピーは、両国間に起きたアヘン戦争をも想起させる。

     アヘン戦争は、イギリスが中国・清朝に輸出していたインド産アヘンを清朝が禁止したのを機に1840年に起きた。中国が約100年にわたって列強の半植民地となる不遇をかこつきっかけとなった出来事だ。清朝が南京条約によってイギリスに割譲した香港はその後、イギリスの中国進出の拠点となる。

     アヘン戦争勃発から175年。列強に相次いで侵略された帝国主義時代の鬱憤(うっぷん)を晴らすかのように、世界経済の牽引(けんいん)役として存在感を増す中国。訪英した習氏は、過去の屈辱の歴史と決別するかのように、堂々と振る舞った。

    200年かけ戻った振り子

    • 清朝でアヘンの取締りを徹底した林則徐の像(中国・広東省で)
      清朝でアヘンの取締りを徹底した林則徐の像(中国・広東省で)

     秋田教授「18世紀の清朝の時代、アジアは豊かでした。19世紀にヨーロッパが軍事的に覇権を握り、アジアに対して優位に立ち、20世紀に入るとアメリカがその覇権を受け継ぎます。それがここへ来て、18世紀半ばのような経済的なアジアの優位にまた戻ってきています。地球の人口の半分近くを抱える中国とインドのあるアジアは今後さらに成長し、富が増えて行く可能性があります。

     『イギリス帝国の歴史』の冒頭に引用しましたが、世界のGDPが過去500年間でどう変化してきたかを経済学者のアンガス・マディソンが推計したグラフがあります。1820年まで世界のGDPに占めるアジアの比重が50%を超えていました。18世紀末、イギリス政府は清朝の乾隆帝のもとに視察団を送り、中国との貿易拡大や自由貿易を求めましたが、拒絶されています。当時は経済的に豊かなアジアが優位に立ち、その論理が優先されていました。アヘン戦争をきっかけに欧米が砲艦外交でアジアの支配に乗り出し、イギリス・アメリカといったアングロサクソンが世界の覇権を握った19世紀以降、欧米のGDPは急激に増え、世界における割合は50%を超えました。20世紀最後の四半期以降はまた、アジアが急速に成長しています。2030年には東アジアのGDPは世界の50%を超えると予想されます。200年かけ、豊かなアジア、強いアジアへと振り子が戻ってきました」

    英中の思惑とは?

    • AIIB設立協定の調印式で署名する中国の楼継偉財務相(北京・人民大会堂で、2015年6月29日撮影)
      AIIB設立協定の調印式で署名する中国の楼継偉財務相(北京・人民大会堂で、2015年6月29日撮影)

     両国は、どのような思惑で手を結んだのだろうか--。

     イギリスは2015年3月、欧州諸国の先陣を切る形で中国が提唱するAIIB(アジアインフラ投資銀行)に参加を表明した。アメリカをはじめ西側諸国は当初、中国主導の動きを警戒していたが、イギリスが加盟を表明すると、ドイツやフランスなど欧州諸国は雪崩を打つように追随した。

     AIIBはアジアの新興国のインフラ建設に資金を融資する金融機関で、習氏が掲げる「一帯一路」構想を金融面で支える仕組み。一帯一路とは、『米中経済戦争 AIIB対TPP』(西村豪太著)の表現を借りると、中国からヨーロッパまでユーラシアを陸路で横断する「シルクロード経済帯」と、中国から南シナ海、インド洋などを抜けて地中海に至る「21世紀海上シルクロード」で、交通インフラを建設し、連結性を高めて市場の拡大を図る狙いがある。

     西村氏はAIIBを、米国主導で進んだ自由貿易協定のTPP(環太平洋経済連携協定)と対比させ、「既存の国際秩序を新興国が変えようとする動きと、それに対する先進国のせめぎ合い」ととらえる。200年を経て再び豊かになったアジアの代表選手・中国が、アングロサクソンの英・米が担ってきた国際秩序に対抗するという構図だ。

    • TPP交渉の合意について共同記者会見で話す各国代表(米アトランタで、2015年10月5日撮影)
      TPP交渉の合意について共同記者会見で話す各国代表(米アトランタで、2015年10月5日撮影)

     中国に人権や安全保障で不安を覚えるアメリカや日本が距離を置く一方、G7(先進7か国)の一角を占めるイギリスが中国に味方することで、また別の構図が浮かんでくる。「一帯一路」の終点に近いイギリスの支持を得ることで、構想をユーラシアの西の端と東の端から推し進めることが可能となり、中国の国際経済戦略にとって大きなメリットがある。

     一方、イギリスにとって、中国は巨額の投資をもたらし、金融ビジネスを拡大してくれるビジネスパートナーにほかならない。習氏の訪英では、イギリスの原子力発電所への投資など400億ポンドのビジネス案件で合意したほか、中国が人民元建ての国債を自国以外で初めてロンドン市場で発行することも決まった。習氏訪英の際、キャメロン氏は「今回の訪英は新しい時代の幕開け。英中関係は黄金時代を迎える」と述べている。 

     だが、中国とイギリスとの金融での結びつきは今に始まったわけではない。その象徴ともいえる存在が、世界中に拠点を置く香港上海銀行だ。

     香港上海銀行はアヘン戦争後の1864年、英国系商社がアジア貿易を決済するため香港に設立した。銀決済のアジア圏と、金本位制のイギリスを仲介する形で、貿易金融や手形決済を手がけた。イギリス政府と緊密に連携しながら、列強が進出するなか中国の独立や領土保全を手助けする形で、日清戦争で中国が支払う賠償金の調達や、中国の外債を引き受けるなどして、金融サービスを拡大していった。同銀行は1980年代以降、イギリス最大のミッドランド銀行など世界各地の銀行を買収し、今や世界最大規模の銀行となっている。

    英国にとって中国は昔の日本

    • 1979年の東京サミットで来日し、大平首相と握手するサッチャー英首相(右)
      1979年の東京サミットで来日し、大平首相と握手するサッチャー英首相(右)

     秋田教授「イギリスは中国から習氏を迎えるにあたって、ほかの国の首脳では考えられないようなもてなしをしました。それは一つに、中国からの投資を呼び込むためです。イギリス経済は好調といわれますが、政府に財政的な余裕はなく、原子力発電など社会基盤の整備で外国からの資金を必要としています。サッチャー政権の時代(1979-90年)には、日本企業が注目されました。イギリスから視察団が日本にやってきて、優遇措置を示して投資を呼びかけていました。ソニーやトヨタ、ニッサン、ホンダといった大手企業が工場をつくり、EU内の製造拠点となっています。イギリスは、当時、日本に呼びかけたのと同じことを、中国に対して行っていると見ることもできます。

     さらに重要なのは、中国と手を結ぶことが、イギリスの経済を牽引してきた国際金融サービスにとってプラスになるからです。同じことはドイツもフランスも考えている。だから異例ともいえる厚遇で、イギリスに目を向けさせたのです。

     世界最大級の金融センターとなったシティーは今も建設ラッシュで、新しい高層ビルが次々とできています。その担い手は金融サービス。イギリスは、人民元の国際化に協力し、シティーの金融サービス機能に人民元を取り込み、さらなる成長を目指しています。

     イギリスはアヘン戦争で領有した香港を拠点に中国と緊密な関係をもってきました。中華人民共和国が成立した1949年にも、アメリカの反対を押し切り、真っ先に承認しています。自由貿易・金融の拠点として繁栄した香港の権益、ネットワークをそのまま残したいという判断があったんだと思います。中国側も毛沢東が香港をうまく使いながら国家建設を行おうと、香港をそのままにした。お互いの利害が一致したんです。その後、香港は返還されましたが、香港を拠点にアジアからイギリスにもたらされた権益は莫大(ばくだい)です」

    世界帝国の200年

    • 秋田教授
      秋田教授

     明治維新以降、日本人が多くを学んだ19世紀後半のイギリスは、七つの海を支配する世界帝国だった。年配の人だけでなく、イギリスに今も付きまとう華やかなイメージは、この頃にルーツがあると言えそうだ。秋田教授の『イギリス帝国の歴史』は、この世界帝国がいかに形成され、発展したのち、衰えていったかを描き出している。大英帝国の盛衰を秋田教授に概略してもらうと以下のようになる。

     秋田教授「地球上の主要な地域に植民地や根拠地を持っていることを仮に世界帝国と規定した場合、イギリスはいつからいつまでが世界帝国であったか。はじまりは1763年にフランスからカナダ、北米で植民地を奪い、大西洋に基盤を置いた帝国を築いたことです。わずか13年後にアメリカが独立すると、帝国の基盤はインドを中心としたアジアにシフトする。この間、北米やジャマイカなどの西インド諸島、インドとの貿易やプランテーション、産業革命で作り出した工業製品の輸出によってイギリスは富を蓄積します。

     ただ、ドイツやアメリカで工業化が進むと、イギリスは1870年代から不況に陥る。19世紀後半になってアフリカを獲得し、第1次大戦後に支配地が最大限に広がりますが、膨大な戦死者を出し、国力が衰えるなか、広大な植民地は逆に重荷になっていくのです。歴史用語で手の広げ過ぎ(over stretch)といいます。植民地でナショナリズムの動きは高まって行くが、それを力で抑えられないという限界に直面します。独立を認めざるを得ず、最終的にイギリスがもはや世界帝国ではないということを知らしめたのが第2次大戦後、1956年のスエズ戦争でした。エジプトによるスエズ運河の国有化に対し、イギリスが、フランス、イスラエルとともに起こした戦争でしたが、撤退を余儀なくされました。それ以降、アフリカから手を引いていく。世界帝国の維持ができなくなる転換点がスエズ戦争だったことを考えると、イギリスが世界帝国であった期間は200年近くにおよびます」

    発展の原動力は?

    • 第一次大戦への志願を呼びかけるイギリス政府のポスター(ロンドンの帝国戦争博物館で)
      第一次大戦への志願を呼びかけるイギリス政府のポスター(ロンドンの帝国戦争博物館で)

     イギリスが世界帝国へと発展する大きな原動力となったと世界史の授業で教えられてきたのが産業革命だが、従来考えられていたほどのインパクトはなかったのではないかとする説が最近唱えられているという。秋田教授の『イギリス帝国の歴史』には、産業革命の時代(1780-1830年)のイングランドの経済成長は年1%弱で、生産性の伸びは緩やかだったとする「産業革命否定論」が紹介されている。経済史でも、従来使われていた「The Industrial Revolution」ではなく「Industrialization」の言葉を使うのが一般的だ。

     一方、ロンドンのシティーを中心とする金融や商業的な活動が、帝国の拡張に果たした役割を見直す動きも出ている。歴史家のP.J.ケインとA.G.ホプキンズは、イギリス資本主義の中心にあったのは、産業革命や工業化ではなく、地主や貴族が担った農業資本主義と、金融、貿易を中心とするサービス資本主義とが合体してできた「ジェントルマン資本主義」(gentlemanly capitalism)であったとし、注目された。そこで強調されたのは、中国をはじめ世界中にシティーの金融力を通じて張り巡らせた「見えない帝国」(invisible empire, informal empire)という名のネットワークだった。

     世界帝国としての地位を失った後も、金融を通じて世界に影響力を及ぼし続けるイギリスで、経済の中心と位置づけられるシティーはいかに形成され、その強さはどこにあるのかについて、次回は考えたい。

    (次回は1月13日掲載予定、メディア局編集部 小坂剛)

     

    • 『イギリス帝国の歴史 アジアから考える』(秋田茂著、中公新書)
      『イギリス帝国の歴史 アジアから考える』(秋田茂著、中公新書)
    • 『米中経済戦争 AIIB対TPP』(東洋経済、西村豪太著)
      『米中経済戦争 AIIB対TPP』(東洋経済、西村豪太著)


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    連載「酒都を歩く」(英国編)(ぶりてん数寄)が本になりました。

    • 『酒場天国イギリス』(中央公論新社)
      『酒場天国イギリス』(中央公論新社)


    ◆日本の居酒屋を舞台にした過去の連載企画「酒都を歩く」をまとめた『あの人と、「酒都」放浪 ― 日本一ぜいたくな酒場めぐり』(中央公論新社)はこちらから

    2016年01月06日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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