文字サイズ
    イギリスの食や酒、文化や歴史に魅せられた人のインタビュー、イベントやニュースをお届けします。
    インタビュー

    ジェントルマンはどこに?…帝国・シティー・紳士(2)

    • シティの中心部にたつイングランド銀行(坂次健司撮影)
      シティの中心部にたつイングランド銀行(坂次健司撮影)

     ロンドン中心部、テムズ川にかかるロンドン橋の北に広がる行政区「シティー・オブ・ロンドン」。

     世界中の銀行や保険会社、商社のオフィスが集中し、イギリス経済の中心として「最も重要な1平方マイル」と呼ばれる。その歴史は世界経済の縮図。テムズ川沿いに運ばれた積み荷が取引される商業の街から金融が生まれ、海運や保険、通信が七つの海を支配する大英帝国の貿易網を支えた。カネが新たなカネを生む投資で、栄華を極めた人もいれば、人生を狂わされた人も--。帝国の栄枯盛衰に寄り添ってきたシティーの歩みを、「イギリス帝国の歴史」の著書で大阪大教授の秋田茂氏と振り返る。

    金融都市・シティーの誕生

     港町・ロンドン。欧州大陸から来た多くの貿易商が取引をする商業都市が、金融都市へと変貌するきっかけとなったのは、1694年のイングランド銀行設立だ。「第二次百年戦争」(1689~1815年)といわれるフランスとの度重なる戦争の費用をまかなうため、イギリス政府は国債を発行することになり、その引受機関が必要となった。そうした要請にこたえて、シティーの商人たちが株式会社としてつくったのが、イングランド銀行だった。

    • 17~18世紀に株式仲買人が集まるコーヒー・ハウスのあったシティーの一角
      17~18世紀に株式仲買人が集まるコーヒー・ハウスのあったシティーの一角

     融資や小切手、手形といった金融を営む商人はそれまでもいたが、イングランド銀行やアジア貿易を独占する東インド会社が登場すると、こうした会社の株式や債券の売買に人々が群がり、投資熱は一気に高まっていく。株式や債券といった紙切れが「疑似貨幣」のように富を生み出す、その後の資本主義の根幹をなす仕組みができる。

     東インド会社のように国王から特定地域の貿易を独占する特許状を与えられた特許会社は、本格的な株式会社の先駆けとなった。航海ごとに株主を代える共同出資で、植民地を支配する軍隊と行政事務能力を持ち、文官も軍人もいったん入社すれば年功序列で昇進と昇給が保証された。世界初のグローバル企業ともいわれる。

     1688年の名誉革命を機に議会は毎年開かれるようになっており、イングランド銀行の設立によって、民意をくみとった議会の決定によって、税金や国債で軍隊・戦争に必要な資金を継続的に集める「財政軍事国家」の仕組みが整う。

     貿易の発展とともにテムズ川の港湾機能も充実。関税や荷物の積み下ろし、大型船の停泊に必要なドックのシステムも確立される。金融とともに、港湾、海運、倉庫、保険といった貿易を支える機能が発達し、大英帝国が世界中にネットワークを築くエンジンとなった。

     イングランド銀行をつくったシティーの商人たちは、政府の資金調達を担う見返りとして、政府に対する発言力を確保。イングランド銀行は1844年、紙幣の発券銀行としての地位を独占する。その後、中央銀行として政府から独立した立場で金融政策に大きな力を振るうことになっていく。

    <関連記事>

    豪華絢爛・銀行パブ…坂次劇場(2)

    植民地獲得支えた投資ブーム

    • 世界的な保険グループのロイズもシティで誕生した
      世界的な保険グループのロイズもシティで誕生した

     秋田教授の話「1660年から1760年ごろまでの1世紀に、イギリスの海外貿易には商業革命といわれる大きな変化がありました。輸出、輸入ともに大きく増え、それまで中心だったヨーロッパ大陸との貿易額を、南北アメリカやアジアとの取引額が上回るようになります。大西洋を舞台にした西アフリカ、西インド諸島との三角貿易では、西アフリカから奴隷をジャマイカなど西インド諸島に輸出し、そこの奴隷制プランテーションで彼らが収穫した砂糖や綿花が本国へとまた輸出されました。このとき、西アフリカで奴隷と引き換えるため、インドから輸入していた綿織物をイギリス本国での生産に切り替えた輸入代替化(国産化)が、産業革命につながったとする説が有力です。

     戦費をまかなうため、大量の債券や株が発行され、国が利払いを保証すると、株や債券への投資で配当や利益が得られるようになります。株式仲買人が活躍し、株への投資を大々的に宣伝しますが、怪しげな取引もありました。1720年、欧州初の本格的なバブル崩壊と位置づけられる南海泡沫(ほうまつ)事件は、その典型です。南海会社は、乱発した国債の利払いに政府が苦しむなか、スペイン領中南米との奴隷貿易を独占的に取り扱う特許会社として設立されました。投機熱が高まり株は高騰しましたが、貿易はうまくいかず、株は大暴落します。

     特許会社が独占していた貿易は次第に自由化され、19世紀後半になると、イギリスには安価な食料が大量に輸入され、アメリカやドイツでも産業革命が進みます。工業製品の輸出が減り、貿易収支の赤字が増えます。ヨーロッパやアメリカに対する赤字を、インドでの黒字で埋めあわせる。貿易赤字を、海外の政府が発行した債券や鉄道会社の証券などへの投資で得られる利子・配当収入で埋め合わせる傾向も強まり、多角的な決済構造が形成されてきます。

     ロンドンあての手形がアジアやアメリカの取引などでも使われ、世界中を回って最後にロンドンに戻ってきて決済される。ポンドが世界通貨として循環するシステムができていました。工業製品の輸出国である『世界の工場』から、金融サービスの中心となる『世界の銀行家』『世界の手形交換所』へと活動の中心を移し、世界経済の中心的な地位を維持したといえます。シティーが貿易や金融を通じて世界と結びついたことで、ロンドンは世界中からヒト・モノ・カネと情報が集まるグローバル都市になります」

    紳士って何だろう?

    • 紳士が集ってきたロンドンの会員制クラブ
      紳士が集ってきたロンドンの会員制クラブ

     イギリスといえば「紳士(gentleman)」だが、その存在はシティーを語る上で欠かせない。伝統的な紳士の行動様式や価値観が、イギリスの政治や経済、金融の発展に大きな影響を及ぼしたと考えられているからだ。

     紳士はもともと、「高貴な家の生まれ」という身分を表す言葉にすぎなかったが、伝統的に紳士のイメージとして二つの側面が共有されてきた。

     一つは、あくせく働かずとも多くの収入が得られる立場にあるということ。そして、恵まれた立場にいるのだから、名誉を重んじ、社会のために役立たなければいけないということ。高貴な身分には義務が伴うという「ノーブレス・オブリージュ」という言葉に集約される。

    • 19世紀大英帝国の外交を担ったパーマストン
      19世紀大英帝国の外交を担ったパーマストン

     「紳士」がいかにイギリスの資本主義を特徴づけたかを考察したP.J.ケインとA.G.ホプキンズの『ジェントルマン資本主義の帝国』は、こう書いている。個人的栄達の前に義務をおくという、名誉の行動規範を持ち、その精神は封建的・キリスト教的であり、指導者としての仕事や政治、スポーツに時間をあてる余裕がある。それこそが紳士。

     上流階級に生まれ、人文学の教養を磨き、社交術を身につける。実学や製造業には距離を置き、人の指導・監督にこそ、自らの才能と情熱を傾ける。文化的な活動にいそしみながらも、社会に役立つ公共心を持った人間であるという矜持(きょうじ)を忘れず、慈善事業に参加する。汗水たらして働く庶民を見下ろすような、どこか浮世離れした生活を可能にするのは、土地を貸すことや、金融取引によって得られる収入(不労所得)だ。

     大英帝国の政治を担ったのも紳士たる貴族。不当な圧力や誘惑に屈することがなく、国家のために正しい決断ができると考えられたのだ。外務大臣や首相として19世紀外交を仕切ったパーマストンは、その象徴といえる。

     「最良の人々」とみなされた貴族は十分な訓練も受けないまま第1次大戦に志願。前線で先頭に立ち、命を落とした。1914年の時点で50歳以下のイギリス貴族の男子の約20%が戦死したとされる。

    • ダンディズムの元祖とされ、紳士の服装に大きな影響を与えたボー・ブランメル
      ダンディズムの元祖とされ、紳士の服装に大きな影響を与えたボー・ブランメル

     シティーでは当初、所有する土地からあがる地代を投資にあてる貴族がジェントルマンと呼ばれていたが、その後、金融サービスに従事して富を蓄えた人間や、法律家、学者、軍の将校、聖職者、内科医といった専門職も、「疑似ジェントルマン」としてジェントルマンと同等の価値観を身につけた人と扱われた。そうした価値観を習得させる場となったのが、パブリック・スクールだった。その後、金融関係者が力を持つようになり、19世紀末には地主階級を吸収して、新たな「ジェントルマン資本家層」を形成する。

     金融街としてのシティーの400年にわたる歴史を(つづ)った浜矩子氏の『ザ・シティ  金融大冒険物語』は、海賊と紳士という二つの精神性が、シティーの歴史を貫いていると指摘している。危険をかえりみず、一獲千金を夢見て世界の海へと乗り出した海賊たちの冒険心。そして、衣食足り、礼節を知る、教養あふれる紳士たちが、お互いの信頼関係を尊重しながら、一定の秩序を保ちながら取引する「ジェントルマン資本主義」。底流で通じる、二つの気質が組み合わさり、せめぎ合ってきた。

    シティー支配した紳士の世界観

     秋田教授「イギリスで一体どこに行けば紳士に会えるのかって? どうでしょうか。ロンドン中心部のペルメル街(Pall Mall)という地区に、特権階級の集まる社交クラブがあります。保守党の政治家なんかも出入りする場所で、メンバーの紹介がなければ中には入れませんが、みなさんが考える紳士のような人に会えるかもしれません。

     シティーを支配したのは紳士の世界観でした。額に汗して働かずとも、土地や投資による不労所得で十分な金銭が得られ、ヒューマニズムを深く理解し、社会を指導する倫理や教養を持つ人。そういう人こそ理想であり、社会の上に立ち統治すべきという価値観です。

     それを壊そうとしたのがマーガレット・サッチャー(首相在位1979-90年)です。働く人がもっと報われるような実力社会、競争原理を実現しようということで、「ビッグ・バン」と呼ばれる改革を打ち出した。外国為替規制を撤廃し、シティーの証券取引所にあった参入規制を取り除いた。これによってアメリカ、ドイツ、オランダ、日本の金融機関が続々とオフィスを構えた。そこに持ち込まれたのは、ひたすら利潤を追求するアメリカ流の新自由主義。出自は問われなかったので、問題を起こしかねない「危ない人」も入ってきた。

     それ以前は人間関係とか社交とか、教養で一定の枠をかけ、シティーのインナーサークルに入らないと、自由な営業活動も難しいというコントロールがあったのですが、様変わりしました。その結果、いまシティーでジェントルマンと呼ばれるような人は、少ないんじゃないでしょうか。一方で、世界中から人種を問わず、いろんな人が入ってきたので、ジェントルマン的な性格は消えてしまいましたが、取引や決済の金額は増えている。結果としてシティーは活性化したと言えます」

    ドルから人民元へ

    • テムズ川越しにシティの高層ビルをのぞむ。手前右は世界一周を果たした「海賊」ドレーク船長の船の復元模型
      テムズ川越しにシティの高層ビルをのぞむ。手前右は世界一周を果たした「海賊」ドレーク船長の船の復元模型

     イギリスと中国との最近の急接近を見て、多くの金融関係者は半世紀前のユーロダラー市場の誕生を思い出したという。二つの世界大戦で疲弊したイギリスが植民地を失い、その衰退がだれの目にも明らかとなった1950年代半ばのことだ。

     広大なポンド圏での取引を決済する機能によってシティーは栄えてきたが、世界通貨はドルへと変わりつつあった。そこで、規制が緩く、預金金利が高く、貸出金利の低い金融市場を作ることで、世界中からシティーにドルを集めようとしたのだ。

     ユーロダラー市場とは、欧州にあるドル市場という意味で、共通通貨のユーロとは関係ない。アメリカの銀行も、本国に比べて自由に営業できるシティーへと参入し、国際金融サービスを展開した。1960年代以降、ドルが急速に流れ込み、ドル建ての様々な金融商品が世界中に販売されていく。

     ポンドからドルへ。基軸通貨が変更されるのに伴い、シティーは新しい船に乗り換えることに成功した。そして、今回もシティーは世界金融の中心としての地位を守るため、存在感を増す人民元を取り込む戦略に出ている。

    世界のルール作ったイギリス

    • 世界中の富豪が訪れるロンドンの高級デパート「ハロッズ」
      世界中の富豪が訪れるロンドンの高級デパート「ハロッズ」

     秋田教授「ロンドンには今も、世界中の富豪たちが集まってきます。アラブやロシアの富豪がひところ、不動産を買いあさったり、莫大(ばくだい)な資金を運用したりといったことが話題となった時期がありました。それは自国で資産を運用するよりも、ロンドンの方が安全だし、秘密が守られるからです。自国で突然、クーデターなどが起こっても、没収される恐れがない。中国も同じです。今一番、高額の不動産を買いあさっているのは中国人だといわれますし、多くの中国人が留学生としてイギリスに来ています。中国の富裕層の持っている潤沢な資金がシティーに集まっています。そのときどきに富裕でダイナミックに活動している人々を世界から呼び寄せることで、経済を活性化させる。今のシティーは、そういう柔軟さを持っています」

    新たな海外帝国

     金融センターとしてのシティーを語る上で、欠かすことのできないキーワードが「オフショア」と「タックスヘイブン」だ。日本人にはあまり知られていない実態を解き明かした『タックス・ヘイブン』(志賀櫻著)は、シティーが金融による覇権を握る中核センターとして君臨しているのには、この二つの仕組みが大きいと指摘している。

     国内事業者同士や、国内と国外の事業者が取引する市場を「オンショア・マーケット」と呼び、預金者を保護したり、金融機関の営業ルールを定めたりする規制がもうけられている。一方、国外の事業者同士が取引する「オフショア・マーケット」は、海外から資金を呼び込むため規制が緩やかだったり、税制での優遇措置がもうけられたりすることが多い。シティーのユーロダラー市場はオフショア市場として成立し、規制がかけられなかったが、イギリス人も利用でき、「オンショア・オフショア一体型」の市場といわれる。

    • シティは世界中から人を呼び寄せ、成長を続ける
      シティは世界中から人を呼び寄せ、成長を続ける

     「タックスヘイブン」のヘイブン(haven)は避難港の意味で、税金がかからない、または、ほとんどかからない租税回避地をさす。シティーは、ブリテン島に近いガーンジー島、ジャージー島、マン島といった英王室の属領、そして旧植民地のケイマン諸島、バハマ、バミューダ、ブリティッシュ・バージン・アイランドといった「タックスヘイブン」と緊密につながっている。シティーを通じて、こうした地域と簡単に取引できる。税率が低く、規制が少なく、秘密が守られやすい。自国でできないことが、シティーに行けばできるとして、海外から大量のマネーが集まったのだ。

     2011年に出版された『タックスヘイブンの闇』(原題・Treasure Islands: ニコラス・シャクソン著)は、イギリスが国策としてタックス・ヘイブンを構築した歴史を紹介。多くの植民地を失う一方、王室属領や旧植民地に「クモの巣」のように張り巡らせたオフショア・システムを「新たな海外帝国」と呼んだ。同書はオフショアを「富と権力を持つエリートたちが、コストを負担せずに社会から便益を得る手助けをする事業」と定義し、金融危機や先進国と途上国の間の南北格差、各国内の貧富の差の拡大といった世界的な問題に、これらの仕組みが与えた影響を指摘している。

     大英帝国の終焉(しゅうえん)とともに姿を現したユーロダラー市場。シティーの国際金融センターとしての力を維持することは、国益に直結する。タックスヘイブンのネットワークと、そこへと通じるシティーの「オフショア・システム」は、国の生き残りをかけた「起死回生の一撃」だった。

     次回は、大英帝国とはいかなる存在だったのか、そして、衰えゆく帝国のしたたかさを考えます。

     (次回は27日掲載予定。メディア局編集部 小坂剛)

    関連記事

    シティーの歴史探訪シリーズ

    歴史家・近藤和彦さんインタビュー

    • 『イギリス帝国の歴史』(秋田茂)
      『イギリス帝国の歴史』(秋田茂)
    • 『ザ・シティ 金融大冒険物語』(浜矩子)
      『ザ・シティ 金融大冒険物語』(浜矩子)
    • 『タックス・ヘイブン』(岩波新書、志賀櫻著)
      『タックス・ヘイブン』(岩波新書、志賀櫻著)
    • 『タックスヘイブンの闇』(ニコラス・シャクソン著、朝日新聞)
      『タックスヘイブンの闇』(ニコラス・シャクソン著、朝日新聞)


    | (1) | (2) | (3) |

    連載「酒都を歩く」(英国編)(ぶりてん数寄)が本になりました。

    • 『酒場天国イギリス』(中央公論新社)
      『酒場天国イギリス』(中央公論新社)


    ◆日本の居酒屋を舞台にした過去の連載企画「酒都を歩く」をまとめた『あの人と、「酒都」放浪 ― 日本一ぜいたくな酒場めぐり』(中央公論新社)はこちらから

    2016年01月13日 11時13分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    大手町モールのおすすめ
    帆布鞄
    PR情報
    大手町モール
    ブランディア
    アーカイブ