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    セクハラやパワハラ、ネット犯罪に対処するための法律の知識が身に着くコラム。

    「認知症事故 家族責任なし」最高裁判決の今後の影響

    相談者 R.Kさん

    • イラストレーション・荒木田美咲
      イラストレーション・荒木田美咲

     「ほら、庭の梅がきれいに咲いていますよ。この分だと桜ももうすぐですね」。穏やかに晴れた3月のある日、いつものように私は、夫の口にスプーンを運びながら話しかけました。夫は無表情で遠くを眺めたまま、口をもぐもぐさせています。「最後に2人で散歩をしたのはいつだったかしら……」。私は、8年に及ぶ介護の日々を振り返っていました。

     私は脳梗塞で倒れた夫を自宅で介護してきました。子どもはみな遠方に暮らしており、周囲に頼れる親族はいません。夫は最近、認知症も進み、私のことも覚えていないようです。

     そんな私にとって、認知症の人が起こした鉄道事故を巡る裁判の行方は人ごとではありませんでした。2年前の7月に、本コーナーの「認知症の夫が徘徊(はいかい)中に起こした事故、妻や子の責任は?」(2014年7月9日)を読ませていただきました。そこで説明されていたのは、正直信じられないような判決結果であり、衝撃を受けたのを覚えています。

     その判決は、家族が目を離したすきに自宅から出て徘徊していた認知症患者の男性(当時91歳)が電車にひかれて死亡したことにより、振り替え輸送費や人件費などを払わされ、損害を受けたとして、鉄道会社がその家族に対して損害賠償を求めた事案で、男性の妻(当時85歳)に対し約360万円の支払いが命じられたというものでした。当時、すでに夫の介護にかかりきりになっていただけに、「認知症患者を部屋に鍵をかけて閉じ込めろと言うの?」と憤慨したものです。

     その後、この裁判に関する情報には気をつけていましたが、先月くらいから、新聞で、最高裁判所の判決が3月1日にいよいよ出るという記事が載るようになりました。しかも、最高裁判所が口頭弁論を開いて双方の意見を聞いたことから、元の判決が見直されるのではないかとの観測が流れ、期待しながら判決を待ちました。結果は、翌日の読売新聞朝刊の1面を大きく飾ったように、「認知症事故 家族責任なし」ということで、胸をなで下ろした次第です。

     ただ、同様の立場にある、認知症患者を抱えた家族の責任は、将来にわたって完全に否定されたわけではなく、ケースバイケースのようです。さらに、この判決結果に対しては、認知症患者が誰かに怪我(けが)を負わせたような場合に、被害者が何ら救済を受けられなくなる可能性があるとも指摘されています。この判決によって、すべての認知症患者の家族が安心して暮せるようになったとは言えないようです。

     今回の判決内容と、認知症患者が起こした事件事故に対する家族の責任が今後どうなるか、について教えて下さい。(最近の事例をもとに創作したフィクションです)

    (回答)

    2014年7月の本コーナーの反響

     2014年7月9日に、本コーナー「認知症の夫が徘徊中に起こした事故、妻や子の責任は?」において、相談者が指摘する、名古屋高等裁判所の判決(平成26年4月24日)を取りあげた際には、読者の皆さんから大きな反響がありました。

     相談者も指摘するように、その判決の対象事件は、家族が目を離したすきに自宅から出て徘徊していた認知症患者(当時91歳)の男性が電車にひかれて死亡したことにより、振り替え輸送費や人件費等の損害を受けたとして、JR東海がその家族に対して720万円の損害賠償を求めた訴訟です。名古屋高等裁判所は、当時85歳であった男性の妻に対して約360万円の支払いを認めました。

     当時、私は、「判決文を見る限り……男性の周囲の人々は充実した介護を実施しており、男性の妻はもちろん、特に男性の長男の妻は献身的に男性の介護を行っていたように読めます。そういった日常的な努力が、単に、出入り口のセンサーの電源を切ったままにしていたという事実だけで、責任を負わされるのは何とも気の毒な印象を受けます……裁判所のように、余りに監督義務上の過失を広く認定すると……徘徊を防ぐためには部屋に鍵でもかけて閉じ込めるしかないという極端な話につながりかねないことが危惧されるところです」とした上で、「今現実に介護をしている配偶者や子どもの責任として、法理論は別として、社会常識に照らし本当に今回のような結論で良いのかという点は、今後十分議論されるべきかと思います」と記しています。やはり、私のような弁護士から見ても、結論に疑問を持たざるを得ないと思ったからです。当時の原稿では、「名古屋高等裁判所の判決に対しては、JR東海、遺族側双方ともに不服として、最高裁判所へ上告した旨が報道されており、まずは最高裁判所の判断を見守りたいと思います」と締めくくられています。

     そして、その高等裁判所判決から2年近く経過した、今月1日に、ようやく最高裁判所の判決が下されたわけですが、タイトルの「認知症事故 家族責任なし」からもお分かりのように、JR東海側の逆転敗訴が確定しました。

    2016年03月09日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    プロフィル
    蒲俊郎 (かば・としろう
    弁護士(第二東京弁護士会所属)
    城山タワー法律事務所代表
    http://www.shiroyama-tower.com/
    桐蔭法科大学院・教授
    http://toin.ac.jp/lawschool/teacher/kaba/
    桐蔭法科大学院・法科大学院長
    http://toin.ac.jp/lawschool/info-top/message2/
    日本法律家協会会員、日本私法学会会員、情報ネットワーク法学会会員他
     専門分野は、電子商取引全般、労働事件(使用者側)、会社商事関係全般等
     多数の企業の顧問弁護士として日々活動するほか、複数の上場するネット企業の社外監査役なども務める。他方、2010年4月、ロースクールのトップである法科大学院長に就任し、多忙な弁護士業務の傍ら、次の時代を担う法曹の育成にも注力している。
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