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    各界で活躍する著名人に影響を与えた「1冊」に迫ります。

    水中写真家 中村征夫さん(70)(前編)

    それでも海と生きる…「3・11」からの再生

     半世紀にわたって国内外の海に潜り、海の生き物たちの姿を写真に収めて来た中村征夫は、水中写真の第一人者として知られる。

     生き物たちの美しくも苛烈(かれつ)な暮らしぶりを独自のアングルで撮影した写真のほか、東京湾や水俣湾など骨太のテーマ設定にはファンが多い。展覧会をひとたび開けば数万人の来場者を期間中に集める。故郷の秋田弁が残る朴とつとしたしゃべりと、明るくひょうひょうとした人柄に魅せられる人も多いようだ。

     そんな中村が6月、東北・三陸の海についに潜った。NHK・BS放送の番組撮影のためだった。

     三陸の海に最後に潜ったのは2000年ごろだったか。11年3月11日の東日本大震災以降、初めてのことだ。

     正確に言うと、潜らなかったというより、潜ることができなかった。

     恐ろしかったのだ。

     中村は過去に津波に襲われ、九死に一生を得たことがある。

     1993年7月12日夜、北海道南西沖地震で津波が襲った北海道・奥尻島にいて被災した。住民200人以上が犠牲になった大惨事だった。

     撮影のために滞在していた中村は、津波襲来の知らせに裸足(はだし)のまま宿を飛び出し、島の高台に駆け上がって助かった。靴などはいていたら間違いなく、島を駆け上がる濁流に()み込まれていた。48歳の時だ。

     「(駆けながら)高さ30メートルもの津波を見上げるようにして見ました。ワーーーッて……その波が僕の後方に落下して……。土手をすり上がって、足をふんばってね。それでも一旅人にすぎない僕が助かって、集落の200人くらいの方々が亡くなりました。その時はもう、カメラマンを本当に辞めようと思いました。撮影機材を含め、あらゆるものが津波に流されましたから。ちょうど潔くて、辞めるなら今かなって」

     友人から借りたカメラで写した島の惨状は、世界のメディアに配信された。しかし、翌日に出演したNHKラジオの生放送では、悲嘆に暮れる島民たちの姿が頭をよぎって涙があふれ、言葉につまって番組はうまくいかなかったという。

     なんといっても自らが人生をかけてきた海がもたらした災害だ。中村はたくさんの住民が亡くなったのに、なぜ自分が助かったのか不思議で仕方なかった。

     「自分は生かされたとしか思えない」

     そう考えられるようになったのはずいぶん後のことだ。

     そして、思いもかけず「3・11」に遭遇した。

     「地震が発生した当日は奥尻と今回の地震の比較について、ラジオや新聞社の人からのインタビューを受けました。そこまでは良かったんです。ところが、2日目、3日目になると、(震災報道が続く)テレビをまったく()られない状態になったんです」

    2015年07月14日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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