文字サイズ
    各界で活躍する著名人に影響を与えた「1冊」に迫ります。

    ラグビー日本代表メンタルコーチを務めた荒木香織さん(5)

    陸上選手からスポーツ心理学者に転身した訳

     ラグビー日本代表のメンタルコーチの職責を果たした荒木は、3年半近くの任期が終わった今、スポーツは勝つことに価値があると考えている。

     ヘッドコーチ(HC)のエディー・ジョーンズが日本代表チームを去った後も、エディーが築き上げた「勝ちの文化」を次の日本代表チームに継承していってほしいとも思う。

     そんな荒木だが、才能を見いだされて小学生から始めた陸上・短距離競技で日本一になることは、引退する社会人1年生までただの1度もなかった。両親がともに陸上選手。その間に生まれたサラブレットの自己ベストは200メートルが24秒5、100メートルが12秒0。全国大会に毎年出場し続けるだけですごいのだが、それではまわりが納得しなかったらしい。

     「(まわりの陸上仲間は)オリンピックに出たり、世界陸上に出たり、日本記録保持者とかばっかりだったんですよ。同じ練習するじゃないですか、ずっと一緒にいるし……でも、私がこんなんで、『勝つ気がないんや』って言われました」

     そんな気はないのに?

     「でも、そんなむちゃくちゃ勝ちたかったと言えば……記録だけ見たらそうでもないんでしょうけど、勝てる気がしなかったです。何なんでしょうね、チームスポーツの方が向いていたんかなあ(笑)。リレーならむちゃくちゃ速いんですよ。だから、『個人競技でもバトン持って走れ』ってよく言われました(笑)。なんか自分だけだったら盛り上がらないですけど(笑)、後につなげないといけないとか、もらったものはちゃんと最後までと思ってしまうんです(笑)」

     日本大学卒業後、就職は東京で決まっていたが、「京都に戻って陸上を」と周囲に勧められ、京都外大西高校の体育の非常勤講師に。生徒たちと一緒に1年間走りながら、考え込んでしまった。

     「陸上しかしてきていないので、あまりにも世間を知らなさすぎるというか(笑)。教員になった時には高校生に指導しなくてはいけないじゃないですか、これはアカンなあと思って。(非常勤講師を)だらだら続けていると、続けてしまうので、とりあえず1回辞めよって。親が『何したいの?』と聞くんだけど、『何したいのかなあ』って(笑)。でも、このままじゃだめだと思いました」

     いまでこそメンタルのマエストロだが、若き日々の悩みは深かった。答えはすぐには見つからなかったが、大学時代の陸上部の澤村博監督に米国に連れて行ってもらったことをふと思い出す。

     「カール・ルイスとかリロイ・バレルとか金メダリストがたくさんいる場所に連れていってもらって、近くにカール・ルイスがいたんですけど、質問したくてもろくに会話もできない。それで英語が話せれば世界中の人たちとつながるんじゃないかなあと思って」

     しかし、この時点では単なる語学留学だった。入学したのは、米ノーザン・アイオワ大学に併設された語学学校。英語も思った以上に伸びたことから、語学学校の教師から大学院進学を勧められ、同大で修士を取得後、ノースカロライナ大グリーンズボロー校の大学院でスポーツ心理学の博士課程を修了した。

     スポーツ心理学の研究者として、日本でやっていく。ようやく人生の目標と足場が固まり、荒木は勇躍、帰国する。ところが、現実はなんとも世知辛いものだった。何度応募しても採用してくれる大学が見つからないのである。

    2015年11月27日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    大手町モールのおすすめ
    帆布鞄
    PR情報
    お墓・ハカダス
    大手町モール
    ブランディア
    アーカイブ