<速報> 北が弾道ミサイル発射、失敗か…韓国報道
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    各界で活躍する著名人に影響を与えた「1冊」に迫ります。

    「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」を率いる海部陽介さん(1)

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    • 沖縄で発見されたホモ・サピエンス「港川人」(左)の前に立つ海部(国立科学博物館で)
      沖縄で発見されたホモ・サピエンス「港川人」(左)の前に立つ海部(国立科学博物館で)

     私たち日本人の祖先は4万~3万年前、初めて日本列島に到着した。出発点は5万年前のアフリカ大陸だ。その渡来ルートのうち、注目すべきなのは沖縄ルート。沖縄の島々で最近、3万年前の遺跡が次々と見つかっているからだ。しかし、大陸と当時地続きだった台湾までは歩いて行けたとしても、沖縄へたどり着くには、世界最大規模の海流・黒潮を横切らなければいけない。

     この海を祖先たちはどうやって渡ったのか。それを確かめようと、当時の舟を復元して台湾から沖縄・与那国島まで航海する異例の実証実験が始まる。名付けて「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」。その中心人物である国立科学博物館の海部陽介・人類史研究グループ長(47)が、これまで聞いたこともない日本史を語り出した。

    日本人の祖先は海を渡ったホモ・サピエンス

     「いまから紹介するのは、僕が4年前から温めていたプロジェクトです。実際にはまだ長い歴史があるんですけど、2013年に最初の研究会をやって、仲間が集まって、そこから少しずつ準備をしてきました。古代舟を復元して、今年7月には与那国島から75キロ・メートル離れた西表島を目指します。そして来年は、台湾から100キロ・メートル以上離れた与那国島をめざす難関にチャレンジする。このプロジェクトは祖先たちの偉業を再現するもので、20名以上の研究者と探検家が協力して進めていきます」

     人類は約700万年前、アフリカ大陸で誕生した。古い順に、「初期の猿人」、「猿人」、「原人」、「旧人」、「新人」と続く。私たちの祖先は最後に現れた「新人」の一派、ホモ・サピエンスだ。

    • 原人、旧人、新人の頭蓋骨の特徴(海部提供)
      原人、旧人、新人の頭蓋骨の特徴(海部提供)

     かつては、日本列島にも原人や旧人がいて日本人は彼らから進化したという考え(多地域進化説)が支配的だった。2000年に発覚した旧石器捏造(ねつぞう)事件までは、日本にも原人がいたのではという説が有力視されていたのだ。ところが、日本列島のどこを掘っても、確実にそう言える人骨や遺跡が出てこない。1980年代の後半以降、遺伝子解析から日本人のアフリカ起源説を裏付ける研究がいくつも発表されたが、論争が完全決着したのは今世紀に入ってからだったと、海部は言う。

     先祖が列島に渡ってきたのが4万~3万年前と言われても、ピンとこない人がいるかもしれない。これは1万5000年前に始まる縄文時代よりずっと過去に遡る、旧石器時代の終わりの頃の物語だ。

     当時は極寒の「氷期」がようやく終息し始め、現在も続く暖かい「間氷期」に向かっていた。人々は石や動物の骨・角などを加工した道具を使って動植物を狩猟採集し、暮らしてきた。農畜産業が始まる「新石器時代」はずっと後、1万2000年前以降のことだ。

    • 「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」提供
      「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」提供

     海部によると、日本列島への渡来ルートとして有力視されているのは、大きく分けて三つある。海面が今よりずっと低かった3万年前、サハリン島を介して大陸と地続きだった北海道ルート、朝鮮半島の目と鼻の先に位置する九州・対馬ルート、最近注目されている沖縄ルートだ。

     「沖縄を注目すべきなのは、3万年前から遺跡が存在することが最近の研究で次々と明らかになってきたからです。1200キロ・メートルにわたる琉球列島(海部は九州から台湾までの間にある約100の島々をこう呼んでいる)には、あちこちに古い遺跡がある。縄文時代より前、後期旧石器時代の遺跡です。つまり、この時期にはすでに琉球列島の全域に人が住んでいたことになるのです」

    • 推定される3万年前の地形。緑色部分が現在の陸地。灰色部分は当時、陸地だったとみられる(「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」提供)
      推定される3万年前の地形。緑色部分が現在の陸地。灰色部分は当時、陸地だったとみられる(「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」提供)

     こう語る海部は人類学者として、進化学の視点からジャワ原人やフローレス原人などの化石を研究してきた。他の人類学者と違うのは、考古学者の守備範囲である遺跡についてもきわめて詳しい点だ。

     黒縁のメガネと、口の周りに蓄えたヒゲがトレードマーク。質問を投げかけると、理路整然とした答えが滑舌良く返ってくる。米ハワイに「すばる」望遠鏡を造ったことで知られる海部宣男・元国立天文台長の長男として1969年2月、東京で生まれた。

     このプロジェクトは、1枚の手作り地図が出発点だった。海部は初期のホモ・サピエンスの遺跡のうち、証拠が確実なものだけをマッピングした世界地図を作った。この地図を改めて見てみると、意外な事がいくつも見えてきて海部自身が驚いたという。

    • 海部が作成した地図=「日本人はどこから来たのか?」(文藝春秋社)より
      海部が作成した地図=「日本人はどこから来たのか?」(文藝春秋社)より

     日本の最西端、沖縄・与那国島。その先には台湾があり、3万年前の台湾はユーラシア大陸と地続きだった。つまり、私たちの先祖たちは台湾までは歩いて移動できるが、日本列島に行こうとしても、その行く手を海が阻んでいたはずだ。

     「琉球列島に渡ってきた当時の人たちはすでに航海の技術を持っていたということになる。沖縄の遺跡からは丸太をくりぬける石斧が見つからないのに、どうやって?」

     専門家もこれまで、航海が必要だったという点には注目してこなかった。台湾から九州まで地続きだったとする「陸橋説」が学会では支配的で、「海を渡らなくては日本列島にはたどり着けないという発想にはならなかったからだ」と、海部は振り返る。

     この地図からは、従来説を覆す、移動ルートに関するもうひとつの発見がある。これは後述するとして、海部はまず、この「陸橋説」を否定してみせた。それは鮮やかな論理構成で、聞いている方が愉快になるほどだ。

    2016年03月07日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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