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    小説や映画、詩や歌に残された作家たちの名言。その舞台となった土地をたずね、言葉が生まれた物語や背景、今を生きる人々の記憶を紹介します。

    西田幾多郎「哲学の動機は…」

    不幸続き 真剣勝負の散歩道

    哲学の動機は「驚き」ではなくして
    深い人生の悲哀でなければならない(「無の自覚的限定」より)

    • 西田幾多郎が思索したとされる哲学の道。見下ろす市内に夕日が沈み、観光客らがカメラを向ける(京都市左京区で)
      西田幾多郎が思索したとされる哲学の道。見下ろす市内に夕日が沈み、観光客らがカメラを向ける(京都市左京区で)

     西田幾多郎にとって、散歩は真剣勝負だった。京都大学文学部の林すすむ教授(63)は言う。「頭を回転させるため、考えるための散歩。風景なんか見ないで、タッタッタッと、歩いていたはずです」

     日本独自の哲学を生んだ大哲学者は、散歩で「真剣勝負」するほど、何に追いつめられたのか。著書「無の自覚的限定」に収録されたある論文は、唐突にこう終わる。「哲学の動機は『驚き』ではなくして深い人生の悲哀でなければならない」

     西洋哲学は世界に対する驚きから始まったとされる。では、悲哀とは。「西田は現実の人生から逃げるため、思索に没頭した。西田哲学は『悲哀の哲学』と呼ばれています」

     苦悩の人生だった。特に、1918年の母の死から、家族に不幸が続く。翌年、妻が脳出血で寝たきりに。さらにその翌年、京都帝大へ進学が決まっていた長男が突然、病死。三女、四女、六女も次々と重い病になり、25年には妻が死去する。「善の研究」を発表し、43歳で京都帝大教授となった西田は、この不幸の時代、40代後半から50代半ばだった。次々と著書を刊行、西田哲学の中核となる「場所の論理」を完成させていく一方、こんな歌を詠んでいる。

    • 動画は写真をクリック
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     妻も病み子また病みてわが宿は夏草のみぞ生ひしげりぬる

     当時、家のふすまは破れ、戸や障子はがたつき、畳は汚れていたという。西田は「何もかも忘れて学問に逃避するのだ」と話したと、後に次男が回想を書いている。

     京都・東山山麓の南北約2キロの道は、西田が思索にふけって歩いたので、「哲学の道」と呼ばれている。それが定説で、西田の歌碑もある。だが、林教授は西田の弟子の証言などから、「西田は哲学の道をほとんど歩いていない」と断言する。「歩いたことはあったかもしれないが、思索のためよく散歩したのは別の場所でしょう」。確かに哲学の道は、真剣勝負の場としては美しすぎる。それでも、「西田の歌碑があるから哲学の道でいい」と林教授は言う。西田の名が今も知られているのは、この道のおかげなのだから。(文・小梶勝男 写真・青木久雄)

    西田幾多郎
     1870年、現在の石川県かほく市生まれ。帝国大学文科大学哲学科選科修了。第四高等学校教授などを経て、京都帝国大学文科大学教授。「純粋経験」から出発して「無」の哲学と場所の論理を開拓し、日本を代表する哲学者となった。その哲学は西田哲学と呼ばれ、田辺元らと京都学派を作り、大正、昭和の思想界に大きな影響を与えた。1945年、75歳で死去。代表作に「善の研究」(岩波文庫)など。著書は難解だが、入門書としては藤田正勝著「西田幾多郎――生きることと哲学」(岩波新書)がお薦め。

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    2016年08月29日 09時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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