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    小説や映画、詩や歌に残された作家たちの名言。その舞台となった土地をたずね、言葉が生まれた物語や背景、今を生きる人々の記憶を紹介します。

    相場格言「もうはまだなり まだはもうなり」

    兜町から消えた喧噪

    もうはまだなり まだはもうなり

    • 電光掲示板がガラスに映り込む東京証券取引所。静けさの漂う空間に、株価の数字が光る(東京都中央区で)
      電光掲示板がガラスに映り込む東京証券取引所。静けさの漂う空間に、株価の数字が光る(東京都中央区で)

     もう値上がり(あるいは値下がり)する頃だと思う時には、まだ状況は変わらない。まだ同じ状況が続くだろうと思っている時、もう局面は転じている――。

     〈もうはまだなり まだはもうなり〉。こめ取引が盛んだった江戸期より伝わる相場格言だ。取引の対象が米から株や為替に変わっても、相場の真理を示す金言とされてきた。

     禅問答のようでもある。「相場の見通しとは難しいものだよ」というある意味、当たり前のことを言っているのだが、聞く者はさまざまに深い解釈を見いだす。

     東京・日本橋の一角が「兜町」である。明治の実業家・渋沢栄一が欧米資本主義に追いつくため、ここに東京株式取引所(現・東京証券取引所)と第一国立銀行(現・みずほ銀行)を創設した。

     兜町には最盛期、約2000人の「場立ばだち」がいた。立会場たちあいじょうを舞台に手サインで株の売買をする証券マンたち。その熱気の強弱が、日本経済の状況と直結していた。

     「でも、すっかり様変わりしてしまいましたね」。半世紀以上、この地を見守ってきた株式評論家の植木靖男さん(77)は少し寂しそうだ。

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     植木さんが大手証券会社に就職したのは1963年(昭和38年)。東京五輪を控え、高度経済成長が続いていた。兜町の北を流れる日本橋川の真上に首都高速道路が架かる。証券会社の看板がずらりと並び、得体えたいの知れぬ相場師もいて、活気と欲望が渦巻いていた。日本で「証券市場」と「兜町」がほぼイコールだった時代。懐かしい話である。

     今、売買の舞台はコンピューターの中にある。投資家はインターネットでつながり、必ずしも現実の兜町で取引する必要はない。

     全面的にコンピューター化された99年、大勢の場立ちは立会場の閉鎖とともに去った。兜町から喧噪けんそうが消えて久しい。

     だが、瞬時に注文が飛び交う電子空間に移ってもやはり、投資家は見えない熱気の先を読もうとまなこになっている。

     日本経済はもう――? あるいはまだ――? 相場格言の深さは、いつの時代も変わらない。(文・保高芳昭 写真・池谷美帆)

    相場格言
     米相場が盛んになった江戸時代から多くの格言が口伝されており、書物の形では「本間宗久翁秘録」「八木虎之巻」などにまとめられてきた。「人の行く裏に道あり花の山」「山高ければ谷深し」「人の商い、うらやむべからず」など、広く知られた相場格言は、売買のノウハウにとどまらず、人生全般にも通じるような含蓄あるものが多い。似た意味合いの相場格言は、ウォール街など海外市場にもある。いずこでも、その神髄を理解するのは難しいようだ。

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    2016年10月03日 10時19分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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