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    小説や映画、詩や歌に残された作家たちの名言。その舞台となった土地をたずね、言葉が生まれた物語や背景、今を生きる人々の記憶を紹介します。

    南洲翁遺訓「命もいらず、名もいらず…」

    時代が「捨て身」求めたか

    命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末しまつに困るものなり

    • 西郷隆盛が西南戦争で自刃した城山。錦江湾に浮かぶ桜島と市街地を望む高台に観光客が次々に訪れ、様々なポーズで記念撮影している(鹿児島市で)
      西郷隆盛が西南戦争で自刃した城山。錦江湾に浮かぶ桜島と市街地を望む高台に観光客が次々に訪れ、様々なポーズで記念撮影している(鹿児島市で)

     芥川龍之介に短編「西郷隆盛」がある。明治維新史を専攻する学生が、列車の食堂車で老紳士と出会う。老紳士は言う。「西郷隆盛は今日までも生きています」「その証拠には、今この上り急行列車の一等室に乗りあわせている」。促されて学生が一等室に行くと、そこには――。

     維新史に残る西郷の働きはすさまじい。幕末、はまぐり御門の変で薩摩藩兵を率いて長州を退け、征討にあたる。一転して長州と連合し、江戸幕府による政治を廃す王政復古、旧幕府・諸藩との戊辰ぼしん戦争、江戸城無血開城を主導する。維新後は請われて参議となり、廃藩置県を断行、学制、徴兵制などを導入した。

     これほどの偉業を10年足らずで成し得たのはなぜか。鹿児島市維新ふるさと館特別顧問の福田賢治さん(75)は「捨て身の覚悟があったからだ」とみる。「南洲翁遺訓」に西郷が語った一節がある。「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也」。西郷は「の仕末に困る人ならでは、艱難かんなんを共にして國家こっかの大業は成し得られぬなり」と続けている。

    • 動画は写真をクリック
      動画は写真をクリック

     幕末の激動の舞台に引き上げてくれた藩主島津斉彬なりあきらに殉じることはならなかった。安政の大獄により、新たな国造りという斉彬の遺志を共に頂いた勤王派の僧と錦江湾に入水したが、生き残ってしまう。「死のふちをさまよい、武士としての恥を忍んで生き延びる。『あとのことは天に任せる』という気持ちになった」(福田さん)。無私無欲の西郷は、澄んだ心で時代の求めを感じ取り、ひたすら応じ続けたのかもしれない。

     「征韓論」で鹿児島に退いた西郷は、西南戦争に敗れ、城山で自刃する。急激な欧化と政治、世相の乱れに不満を募らせた士族層に担がれたとの見方がある。幕末維新期と同様に、時代が捨て身の西郷を求めたのか。

     芥川の「西郷隆盛」で、一等室に移った学生は、居眠りをする男に「子供の時から見慣れている西郷隆盛の顔」を見つけ、つかの間、「城山戦死説」に懐疑的になる。来年は維新150年。西郷は今日までも生きている、とすれば今の時代、どんな働きをするだろう。(文・渡辺嘉久 写真・青木久雄)

    南洲翁遺訓(なんしゅうおういくん)
     薩摩藩の下級武士出身で、明治維新最大の功労者とされる西郷隆盛(1827~77年、号は南洲)の語録。人材登用や内政、外交について為政者の心構えなどを説いている。明治新政府と旧幕府・諸藩とが敵対した戊辰戦争(68~69年)で敗れた庄内藩の藩士が、西郷による寛大な戦後処理に心服。鹿児島を訪れるなどして聞いた西郷の考えをまとめ、1890年に発行された。岩波文庫「西郷南洲遺訓」などに収められ、荘内南洲会「南洲翁遺訓に学ぶ」は「意訳」と「講究」がわかりやすい。

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    2017年02月06日 09時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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