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    小説や映画、詩や歌に残された作家たちの名言。その舞台となった土地をたずね、言葉が生まれた物語や背景、今を生きる人々の記憶を紹介します。

    高杉晋作「面白き 事もなき世に…」

    志半ば 英傑の問いかけ

    面白き 事もなき世に おもしろく

    • 維新に尽力した人々をまつる招魂場。「面白き世」を追求した晋作らの名を刻んだ碑が整然と立つ(山口県下関市の桜山神社で)
      維新に尽力した人々をまつる招魂場。「面白き世」を追求した晋作らの名を刻んだ碑が整然と立つ(山口県下関市の桜山神社で)

     動けば雷電のごとく、発すれば風雨の如し――。長州の英傑・高杉晋作(1839~67年)は、死後、盟友の伊藤博文にこう言わしめた。27歳でこの世を去った晋作は、まさに嵐の如く幕末を駆け抜けた。

     長州藩(現在の山口県)に生まれ、志士を輩出した松下村塾で吉田松陰に学んだ。尊皇攘夷じょうい運動に身を投じ、列強の脅威から長州を守ろうと、武士だけでなく農民らも組織した奇兵隊を結成。挙兵して幕府寄りだった藩内の勢力を倒し、長州を征討しようとする幕府軍との戦いに臨んだ。

     66年(慶応2年)、諸藩を結集した幕府軍による第2次長州征討が始まる。海軍総督の晋作は、夜陰に乗じて敵艦隊を奇襲するなどし、活躍した。

     快進撃の陰で、結核が晋作の命をむしばんでいた。戦いが長州有利に進む中、晋作は前線を離れ、下関で療養生活に入る。

     「面白き 事もなき世に おもしろく」。静養の合間に、なぜか上の句だけを詠んだ。

     病床の傍らには、福岡藩(現在の福岡県)出身の野村望東尼ぼうとうに(06~67年)がいた。かつて対立する勢力に狙われて身の危険を感じ、福岡へ逃れた晋作をかくまった尊皇派の尼僧だ。福岡藩に弾圧された望東尼は、玄界灘の姫島へ流されたが、晋作が手を回して島から救い出していた。

     その望東尼が、下の句を継いだ。「住みなすものは こころなりけり」――それは心の持ち方次第である。

    • 動画は写真をクリック
      動画は写真をクリック

     下関市立歴史博物館の田中洋一・主任主事(38)は、「志半ばで病にふし、焦燥感に駆られる晋作を、望東尼が思いやったのでしょう」と推し量る。また、同市立東行とうぎょう記念館の藤山佳子・学芸員(28)は、「病の進行とともに弱気になりそうな自分に、また表舞台に戻るぞ、と言い聞かせたのかもしれません」と語る。

     歌には、様々な解釈があっていい。ならば、上の句は、晋作が後世の人々に託した「問いかけ」だと考えてみてはどうだろう。

     課題山積の世の中を楽しくしたい。あなたなら、どうする?

     下の句を詠むのは、今を生きる私たち一人ひとりなのである。(文・増田真郷 写真・岩佐譲)

    「面白き……」
     高杉晋作が1867年(慶応3年)に世を去る直前に詠んだといわれるが、下関市立歴史博物館によると、その前年の秋から年末にかけて詠まれた可能性が高いという。療養中の晋作を野村望東尼が見舞った際、下の句を作ったとみられる。晋作の句を書き写したという文書には「面句キ」とあるが、「面白キ」の誤記だとみられている。また「事もなき世に」を「事もなき世を」と表記した文書もある。晋作の死から半年余り後、望東尼は現在の山口県防府市で病死した。

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    2017年03月13日 10時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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