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    小説や映画、詩や歌に残された作家たちの名言。その舞台となった土地をたずね、言葉が生まれた物語や背景、今を生きる人々の記憶を紹介します。

    椋鳩十「生きることの美しさを、うったえてみたくなった」

    動物たちに託した伝言

    (むく)(はと)(じゅう)「物語のふる里加治木(かじき)」より

    • 自然豊かな加治木の土地を椋鳩十は「私の文学の源泉」と書いた。緑が豊かな通りを、女性が犬と散歩する(鹿児島県姶良市で)
      自然豊かな加治木の土地を椋鳩十は「私の文学の源泉」と書いた。緑が豊かな通りを、女性が犬と散歩する(鹿児島県姶良市で)

     「日本のシートン」とも呼ばれる椋鳩十が動物児童文学を手がけるようになったのは、戦争へ向かう国の言論統制がきっかけだった。自由奔放に生きる人々を小説の中で描いていたが、検閲で反良俗的とされ、伏せ字だらけにされてしまう。

     戦争が人々の暮らしを脅かすようになると、住んでいた鹿児島県加治木町(現姶良あいら市)にも、若い兵士たちの遺骨が帰ってくるようになった。教師でもあった椋は、胸を痛めてこう思う。

     「科学的な動物物語にことよせて、生きることの美しさを、お母さん方に、うったえてみたくなった」

     少年雑誌から熱心に誘われていたこともあり、椋は子供向けの動物物語を手がけるようになる。動物に「自分の考えをおっかぶせて」書けば、検閲にひっかかりにくいだろう、という目算もあった。

     今も小学校の教科書に載っている「大造じいさんとガン」(1941年)は、老狩人とガンの知恵比べを描いた名作だ。ガンの群れの頭領は、仲間を守るためにハヤブサと戦い、傷つく。頭領を数年越しで捕らえた狩人は、殺しはせず、体力の回復を待って、空へと放つ。

     椋の孫で、姶良市の椋鳩十文学記念館に勤める本田文女あやめさん(53)は、「祖父の作品の中で、動物たちは原則として死にません。生きる姿を描きたかったのでしょう」と話す。

    • 動画は写真をクリック
      動画は写真をクリック

     例外的に死を描いているのが、実話を基にした「マヤの一生」(70年)だ。マヤは椋家の飼い犬だった。食糧不足の戦時下で、犬など飼うのはぜいたくだ――。警察や役場、町の人々の声に、椋家の人々は抵抗したが、椋の留守中にマヤは連れ出され、撲殺されてしまう。

     「マヤは家族同然だったそうです。終戦から四半世紀を経てマヤの一生をきちんとまとめたのは、それだけ心の傷が深かったから、と言えるのではないでしょうか」と本田さん。

     戦後、自由にものが書けるようになってからも、椋は主に児童文学の道を歩んだ。そして、生きる尊さを伝える使命を、動物たちに託し続けたのである。(文・増田真郷 写真・永井哲朗)

    椋鳩十
     1905~87年。本名・久保田 彦穂 ひこほ 。長野県に生まれ、法政大を卒業。鹿児島県で女医をしていた姉を頼り、種子島の高等小学校で代用教員となってから同県に永住。加治木高等女学校教員、県立図書館長などを歴任しながら、創作活動を続けた。「マヤの一生」などで第1回赤い鳥文学賞を受賞。「生きることの美しさ……」という言葉は、「物語のふる里加治木」という文章の一節で、「椋鳩十の本 第二十九巻」(理論社)に収録されている。全文が刻まれた碑が、椋鳩十文学記念館の敷地内にある

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    2017年08月07日 09時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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