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    小説や映画、詩や歌に残された作家たちの名言。その舞台となった土地をたずね、言葉が生まれた物語や背景、今を生きる人々の記憶を紹介します。

    松浦静山の言葉「勝ちに不思議の勝ちあり…」

    剣術指南 本質を突く

    勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし(松浦(まつら)静山(せいざん)の言葉)

    • 昇る朝日に平戸城のシルエットが浮かび上がる。1775年に平戸藩主となった松浦静山は財政改革を行い、藩の再建に腐心した(長崎県平戸市で)
      昇る朝日に平戸城のシルエットが浮かび上がる。1775年に平戸藩主となった松浦静山は財政改革を行い、藩の再建に腐心した(長崎県平戸市で)

     勝負事に運はつきものだ。ただ、運で勝つことはあっても、負ける時には何か理由がある。スポーツの世界で名将や名選手と呼ばれる人が試合を終える度に実感するのが、〈勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし〉という言葉だろう。

     勝ちは偶然という要素が入り込むものだと謙虚に受け止める。一方、負けを「運が悪かった」と片づけるのではなく、失敗には必ず原因があるのだから、それを突き止めて次に生かす重要さを説いている。

     プロ野球往年の名捕手・監督、野村克也さん(82)が1980年代に「負けに不思議の負けなし」という本を出版し、自身も試合後の取材で、よく使ったことから「野村語録」の一つだと思われがちだ。

     長崎県平戸市の松浦史料博物館学芸員、久家くが孝史さん(49)は「当館に来て初めて、平戸藩の9代藩主、松浦静山の言葉と知る人が多いですね」と笑う。静山が書いた剣術の指南書「剣談けんだん」の中にある言葉なのだが、いつ思いついたのか、その背景はよく分かっていないという。

     静山は心形刀流しんぎょうとうりゅう免許皆伝の腕前だけでなく、学問も幅広く修め、蘭学らんがくや当時禁教だったキリスト教へも関心を寄せていた。「西洋の文化が早く伝わった土地柄からか、何事にも好奇心が強く、物事を突き詰めて考えるうちにたどりついた境地なのでしょう」と久家さんは解説する。

    • 動画は写真をクリック
      動画は写真をクリック

     藩主を長く務めた静山の気持ちに少しでも近づきたいと思い、平戸城の天守閣に上った。市街地から大陸につながる海まで四方をゆっくりと眺める。晴れていたこともあり、遠くの島々がくっきりと見えた。

     日本本土の西北端で、大陸にも近い平戸は鎌倉時代に元寇げんこうの襲来を受けていたことに気づく。「剣談」は静山が江戸で隠居していた時代に書いたとみられるが、「勝ちに――」の言葉を思いついたのは平戸だったのではないか。

     民を治める者が侵略に備え、戦に勝つ極意を考えるのは当然だ。

     200年以上も前の剣術の心得が今も語り継がれるのは、誰にでも分かる短い言葉で勝負の本質を表したからだろう。(文・西條耕一 写真・吉岡毅)

    松浦静山
     1760~1841年。平戸藩9代藩主。本名は清。号で静山を名乗った。10代半ばで藩主となり、40代後半、江戸で隠居する。1821年から世を去るまでに書いた随筆「 甲子夜話 かっしやわ 」は計278巻に及ぶ。大塩平八郎の乱などの大事件だけでなく、社会風俗、他藩の内情から 魑魅魍魎 ちみもうりょう の話まで取り上げられ、当時の世相を研究する文献として知られる。「剣談」に書かれた今回の言葉は、「五輪書」など他の兵法・剣術などの指南書とともに、吉田豊編「武道秘伝書」(徳間書店)に収録されている。

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    2017年09月04日 09時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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