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    小説や映画、詩や歌に残された作家たちの名言。その舞台となった土地をたずね、言葉が生まれた物語や背景、今を生きる人々の記憶を紹介します。

    石川達三「蒼氓」

    出航待つ不安と希望

    移民言うものは、こりゃあ、まあ、

    落葉あみた様なもんじゃと思うとりますわい。(1935年)

    • たそがれ時、黒煙をあげて船が出航する神戸港。大勢の移民がここからブラジルへ旅立った
      たそがれ時、黒煙をあげて船が出航する神戸港。大勢の移民がここからブラジルへ旅立った

     ブラジル移民が渡航準備のため最後の時を過ごした神戸の国立移民収容所。「蒼氓」は、そこでの8日間にわたる人々の姿と心の動きを描いた。収容所のだんらんの場で、一人の男がふと、「移民言うものは――」と口にした。

     時は1930年。農業恐慌で農民たちが生活苦にあえいでいた頃だ。疲弊した農村の余剰人口を解消するため、ブラジル移民は国策として進められていた。移民の落魄らくはくするような心情がにじむ言葉だ。

     作者の石川達三自身が、ブラジルを旅する前に同収容所で移民たちと過ごし、実体験を基に書かれた作品なのだ。その様子は「蒼氓」に先立ち出版された紀行作品「最近南米往来記」にも書かれている。そこで達三は、移民政策を棄民と糾弾し、収容所を「国家の無力を物語る国辱的建築物」と表現する。

     しかし、「蒼氓」では、そんな激しい怒りを噴出させていない。不安を抱えながらも、新天地に希望を託す素朴な農民たちに温かいまなざしを向けている。男の言葉は、「ブラジルに行ったらまた何とか落葉から芽が出てなあ」と結ばれる。

     「父は文学では芽が出ず、行き詰まっていた。そんな時期に、厳しい現実と向かい合わざるを得ない移民の必死な姿に触れ、頭を殴られたような衝撃を受けたといいます。だからこそ、人間を描くということに主眼を置いたのだと思います」

     達三の長男で上智大学名誉教授の石川さかえさん(74)は語る。

    • 動画は写真をクリック
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     「蒼氓」は、太宰治らを抑え、35年の第1回芥川賞に輝き、無名の達三を一躍、人気作家に押し上げた。

     昭和10年代(1935~44年)の文学を研究する神奈川大学の松本和也教授(42)は、「当時、プロレタリア文学が弾圧され、文学は個人主義的傾向に回帰していた。そんな中、ブラジル移民というスケール感のある時事的なテーマを取り上げた『蒼氓』は、審査員たちに新鮮に映ったのでしょう」とみる。

     社会的視点を持ちつつ、人間を描き切る。その後の石川作品にも通底している。

     (文・西田浩 写真・佐々木紀明)

    「蒼氓」
    ブラジルに移住のため、出航地の神戸に集まってきた農民たちの出航までの日々を描いた。石川達三(1905~85年)は、この作品で第1回芥川賞を受賞した。ブラジルまでの船内の様子がつづられる「南海航路」、ブラジルに到着し、農園での生活を始めるまでをたどった「声無き民」の後日談を加え、1939年に3部作の形で新潮社から出版された。達三はその後、「生きている兵隊」「四十八歳の抵抗」「人間の壁」「青春の蹉跌」などを著し、社会派として文壇の重鎮となる。

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    2017年09月19日 04時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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