石田比呂志「〈職業に貴賤あらず〉と嘘を言うな」
流浪の半生 歌を命に
〈職業に
耐え苦しみて
短歌誌「牙」を主宰した歌人の石田比呂志は、少年時代から職を転々とした経歴の持ち主である。戦前は筑豊炭田で採炭に従事し、戦後は村役場の臨時職員、旅館番頭、キャバレー支配人……。40歳代半ばで熊本に暮らすまで、郷里の福岡や、東京、山口、大分などを流浪した。
石川
〈職業に
30首の一連にあったこの歌を、長年連れ添った歌人の
出身は福岡県
「小心記」が巻頭を飾った第1歌集「無用の歌」は65年に刊行。未来短歌会の岡井隆さん(89)が石田の個性を「野武士」にたとえた序文などが収められ、華々しい。
しかし刊行の前年、東京にいた石田は、郷里で美容院を開く遠縁の塩塚悦子さん(78)に、金の工面を頼む手紙を送っていた。「悦子ちゃん、もう五千円貸して下さい」「僕は才能など初手からない、ダメな人間なんでせうか」。短歌20首を書いた原稿用紙も添えられた。両親を早くに亡くし、石田に気遣われて育った悦子さんは、「この人、本当に駄目になる」と思ったという。はるかに上回る額を携え、勤め先のキャバレーを訪ねていった。
歌を命とし、無頼派といわれた石田は生涯に17冊の歌集を出し、自身の著作を悦子さんに届け続けた。こんな一首もある。
酒のみてひとりしがなく食うししゃも尻から食われて痛いかししゃも
(文・佐々木亜子 写真・田中成浩)
石田比呂志 |
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1930年、福岡県生まれ。59年、歌誌「未来」に入会。62年に「牙短歌会」を結成して「牙」を創刊したが、その後休刊。74年に大分県中津市で「牙」を再刊、主宰となる。翌年、熊本で暮らし始め、歌人の山埜井喜美枝との結婚生活を解消する。86年、「手花火」で短歌研究賞を受賞。2010年、生前最後の歌集「邯鄲線」を出版。11年、脳内出血のため80歳で死去し、「牙」は追悼号で終刊した。読売新聞「よみうり西部歌壇」選者。七回忌を迎えた今年、最終歌集「冬湖」が刊行された。 |
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