文字サイズ
    小説や映画、詩や歌に残された作家たちの名言。その舞台となった土地をたずね、言葉が生まれた物語や背景、今を生きる人々の記憶を紹介します。

    手塚治虫「ガラスの地球を救え」

    マンガの神様生命見つめ

    自然がぼくにマンガを描かせた(「ガラスの地球を救え」より)

    • 手塚少年が昆虫採集に明け暮れた千吉稲荷神社。住宅街の真ん中に、時が止まったように当時のままの里山が残っている(兵庫県宝塚市で)
      手塚少年が昆虫採集に明け暮れた千吉稲荷神社。住宅街の真ん中に、時が止まったように当時のままの里山が残っている(兵庫県宝塚市で)

     「ブラック・ジャック」や「火の鳥」などのマンガを大ヒットさせただけでなく、代表作の「鉄腕アトム」をテレビアニメとしても成功させた手塚治虫。「マンガの神様」が後進に与えた影響は大きい。

     中学時代に手塚作品を読んで衝撃を受けた藤子不二雄(A)さん(83)は2008年に東京都内で開かれた「手塚治虫アカデミー」でパネリストとして登場し、「日本のマンガが世界一となったのも、手塚先生の出現があったから」と言い切ったほどだ。

     数多い作品に共通するテーマは何か。自著では、5歳頃から戦争をはさんで24歳頃まで過ごした兵庫県宝塚時代の体験に触れ、「自然に根ざした“生命の尊厳”」と書いている。

     当時の宝塚は自然にあふれ、手塚少年は山や川、野原を駆け回り、人間も自然の一部だと学ぶ。

     「自然がぼくにマンガを描かせた」。そう思うようになった。宝塚市立手塚治虫記念館係長の矢野喬士たかしさん(36)は「命や自然の大切さを誰でも分かるマンガで表現したのが先生の偉業です」と話す。

    • 動画は写真をクリック
      動画は写真をクリック

     手塚は終戦の年、学徒動員先の大阪で空襲に遭う。焼夷しょうい弾が体のわきをかすめ、死を覚悟したが、九死に一生を得た。命の大切さを学んだ反面、死と隣り合わせになった「悪夢のような記憶」が、後に名作の数々を描かせた。

     永遠の命を望む人間の愚かさを描いた「火の鳥」や、単に10万馬力の少年ロボットが活躍するのではなく、暴走する科学技術が人類を危機に陥れる世界を描いた「鉄腕アトム」などがそうだろう。

     著書には「生命のないところに未来はない」という言葉もある。手塚少年が昆虫採集をした宝塚市の千吉せんきち稲荷神社を訪ねてみた。開発が進んだ住宅街の中、そこにだけクヌギなどの雑木林が残っていた。かつてこの辺りはクワガタや珍しいチョウの宝庫だったという。

     地面に倒れ、朽ちた木をそっとどけると、「治虫」の名前の元になったオサムシなど、多くの甲虫がひっそりとんでいた。開発から逃れた小さな里山の中に、今も手塚の原点が見えるようだった。

     (文・西條耕一 写真・岩佐譲)

    手塚治虫
     1928~89年。大阪府豊中町(現・豊中市)生まれ。本名は「治」。33年に現在の兵庫県宝塚市に転居。小学3年頃からマンガを描き始め、46年、「マアチャンの日記帳」でデビュー。52年に上京。生涯で15万ページ以上を描き、子供の娯楽だったマンガを世界に通用する日本の文化に押し上げた。自身も医師免許を持ち、異色の天才外科医が主人公の「ブラック・ジャック」で医療マンガの先駆者に。今回の名言は、手塚の文章や講演を集めた「ガラスの地球を救え」(光文社知恵の森文庫)から引用した。

     続きは「読売プレミアム」で
     http://premium.yomiuri.co.jp/pc/

    2017年11月20日 09時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    大手町モールのおすすめ
    帆布鞄
    PR情報
    大手町モール
    ブランディア
    アーカイブ