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    小説や映画、詩や歌に残された作家たちの名言。その舞台となった土地をたずね、言葉が生まれた物語や背景、今を生きる人々の記憶を紹介します。

    道元「須らく道心を運らして…」

    食事作りも修行の機会

    すべからく道心をめぐらして、時にしたがって改変し、
    大衆だいしゅをして受用し安楽ならしむべし(道元「典座教訓」より)

    • 約800年前の1244年(寛元2年)、道元禅師によって開かれた永平寺。深山幽谷に七堂伽藍を中心とした殿堂楼閣が立ち並ぶ(福井県永平寺町で)
      約800年前の1244年(寛元2年)、道元禅師によって開かれた永平寺。深山幽谷に七堂伽藍を中心とした殿堂楼閣が立ち並ぶ(福井県永平寺町で)

     800年近い時を重ね、道元禅師の教えが体現される修行道場、大本山永平寺。四方を山に囲まれた深山幽谷の地は紅葉に染まっていた。古杉の林立する中に回廊で結ばれた七堂伽藍がらんが整然と並び、約140人の修行僧が、早朝4時から、座禅、勤行ごんぎょう行鉢ぎょうはつ(正式な作法で食事をいただくこと)、掃除等の作務さむなど、日々厳しい修行に励んでいる。

     道元は、日常の食事を作ることも食べることも大切な修行ととらえ、「典座教訓」を著した。典座とは、寺院の運営を預かる6人の知事職の一つで、修行僧の食事を(つかさど)る要職。「典座の心構え」として記されているのが、「須らく道心を運らして……」の一文だ。

     いわく、「食事を作るには、必ず仏道を求めるその心を働かせて、季節にしたがって、春夏秋冬の折々の材料を用い、食事に変化を加え、修行僧たちが気持ちよく食べられ、身も心も安楽になるように心がけなければならない」(中村璋八しょうはちほか訳)

     道元がよりどころとしたのは、12世紀初め、宋代における禅宗寺院の修行僧の生活規範をまとめた「禅苑清規ぜんねんしんぎ」で、そこからの引用である。

    • 動画は写真をクリック
      動画は写真をクリック

     正師を求めて中国大陸に渡った若き道元が、「典座教訓」を書くに至った象徴的なエピソードがある。シイタケを買いに来た老典座との出会いである。

     明日は特別の説法があるので、修行僧たちに喜んでもらえるようなめんのつゆを作ろうと張り切っている老典座を見て、食事の支度などわずらわしいことは若い者にさせればいいではないかと、道元は言う。老典座は笑いながら、「外国のお方よ、あなたは修行ということの本当の意味がわかっていないようだ」と答えたという。

     座禅を組むことも高僧伝を読むことも重要だが、それは修行の一部に過ぎない。修行とは生活の中の立ち居振る舞いすべてであり、典座の仕事には、その機会が十分に与えられていると、説きたかったのだろう。

     「食べる人の身になって真心を込めて丁寧に作った料理は、一番のごちそう。道元禅師の教えは現代にも生きています」。永平寺の典座、三好良久りょうきゅう師(70)はそう語った。

    (文・永峰好美 写真・佐々木紀明)

    道元
     1200~53年。日本における曹洞宗の開祖。京都の上流貴族の生まれとされる。幼くして両親を亡くし、14歳の時に比叡山で出家。栄西の弟子、明全に師事した後、24歳の春、宋へ渡る。天童山の如浄禅師の下で修行し、28歳で帰国。京都・深草に本格的禅院を目指して興聖寺を建立、集団生活の指導原理の一つとして寺の食生活を担当する者の心得を明らかにするため、「典座教訓」を著した。1243年、越前に移り、座禅修行道場として大佛寺(のちに永平寺)を開いた。講談社学術文庫などで読める。

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    2017年12月04日 09時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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