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    小説や映画、詩や歌に残された作家たちの名言。その舞台となった土地をたずね、言葉が生まれた物語や背景、今を生きる人々の記憶を紹介します。

    大島渚「君たちはなぜ、怒らないのか」

    上からの理不尽 許さない

    君たちはなぜ、怒らないのか(大島渚の言葉)

    • イルミネーション越しに、京都タワーが夜空に浮かぶ。規制のある京都市街では最も高い建造物だ(京都市下京区で)
      イルミネーション越しに、京都タワーが夜空に浮かぶ。規制のある京都市街では最も高い建造物だ(京都市下京区で)

     父が世を去った時、2人の息子は父の言葉を本にして残そうと思った。話し合って、50の言葉を選んだ。題名は一番父らしい言葉にした。

     「君たちはなぜ、怒らないのか」

     父は、「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」など数々の傑作で世界的に有名な映画監督・大島渚。2人の息子は、長男で大学教授の武さん(54)と、次男でドキュメンタリー作家のあらたさん(48)である。

     この言葉を、兄弟は父から直接聞いたわけではない。メディアで近いニュアンスのことを言ったという記憶はあるが、著書でも確認出来なかった。「でも今、父が生きていたら絶対にこう言うと思います。若者たちは物わかりがよくなった。昔は議論したり闘ったりしたものですが」。新さんが言う。子供の頃、突然怒り出す父を見るのは嫌だった。今はそれが父の生き方だったと思う。「立場が上の人が理不尽なことを言うのを絶対に許さなかった。そこは自分も似ているところがあると思います」

    • 動画は写真をクリック
      動画は写真をクリック

     怒りは故郷へも向けられた。大島渚は幼年期を瀬戸内で過ごすが、6歳の時、父が急死。一家は母の実家を頼って京都市下京区の町家へ移った。1991年、大島は監督・脚本・ナレーションを務め、自ら出演してドキュメンタリー「キョート・マイ・マザーズ・プレイス」を作る。「権力者にはそむかず……隣近所に気を使い……(中略)、何事にも耐え忍ぶ……こうして美しい京都は完成した。若い私にはそれが我慢ならなかった」。作中で大島は母への思いと同時に、京都への憎しみを告白する。ついには「京都なんか燃えてなくなればいいんだ」とまで。その一方で、こうも語るのだ。「私の中の多くのものが京都によって形成されたと思う。私の生活、私の仕事(中略)、私の美学、私の着物……」

     「父はアンビバレントな人でした。常識人で、同時に前衛的。変わった人だった」。新さんがしみじみと語った。アンビバレントとは、同じ物事に対し相反する感情を抱くことだ。激しい怒りと、同時に激しい愛。それは大島の作品全てを貫き、輝かせる源泉ではなかったか。(文・小梶勝男 写真・佐々木紀明)

    大島渚
     1932年生まれ。54年、京大法学部卒業、松竹入社。59年、「愛と希望の街」で監督デビュー。60年、「青春残酷物語」で松竹ヌーベルバーグの旗手として注目される。61年、松竹退社。独立プロを設立、「儀式」など数々の傑作を発表。76年の「愛のコリーダ」で世界的評価を得る。83年の「戦場のメリークリスマス」は国内外で大ヒットした。2013年、肺炎で死去。テレビ出演、著書多数。妻は女優の小山明子さん。大島武、大島新さんの共著「君たちはなぜ、怒らないのか」は日本経済新聞出版社から。

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    2017年12月25日 10時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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