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    小説や映画、詩や歌に残された作家たちの名言。その舞台となった土地をたずね、言葉が生まれた物語や背景、今を生きる人々の記憶を紹介します。

    与謝蕪村「春風や堤長うして家遠し」

    離れた故郷 つのる思い

    春風や堤なごうして家遠し(「(しゅん)(ぷう)()(ていの)(きょく)」より)

    • 朝、砂利船が列になって淀川に出て行く。午後に川砂利満載で戻ってくる(大阪市都島区毛馬町で)
      朝、砂利船が列になって淀川に出て行く。午後に川砂利満載で戻ってくる(大阪市都島区毛馬町で)

     生まれは摂津国東成郡毛馬けま村(現・大阪市都島区毛馬町)だが、生家や親きょうだいのことはよくわからない。与謝蕪村よさぶそんは若いころ故郷を離れ、戻らなかったとされている。

     消息が知れるのは、江戸で俳諧の師、早野巴人はやのはじん方に同居していた20歳代からだ。北関東に住み、東北を旅し、京都に現れたのが36歳。その後丹後の宮津や讃岐にも滞在したが、68歳で亡くなるまで都で暮らした。

     絵師にして俳諧師。俳句約3000、書簡約450通のほか、連句、俳文も残っているのに故郷や家族への言及がほとんどない。蕪村を研究する関西大の藤田真一教授はこう語る。

     「蕪村はたびたび大坂の知人を訪ねています。三十石船なら毛馬を通るので、下りて立ち寄ってもよさそうなものです。やはり何らかの理由で離れざるをえず、思いがありながら帰れなかったのでは」

     その思いがせきを切るのが、62歳の作「春風馬堤曲」だ。18の俳句や漢詩などからなる。<やぶいり浪花なにわいで長柄川ながらがわ><春風や堤長うして家遠し>から始まり、奉公に出た少女が、母と弟がいる家に里帰りする道すがらを描写する。

    • 動画は写真をクリック
      動画は写真をクリック

     知人への手紙に、春、堤に上って友と遊んだ幼い日の思い出を記し、作品の制作意図を打ち明けた。

     「愚老懐旧のやるかたなきよりうめき出たる実情にて候」

     それにしても、故郷を出た事情である。母が正妻でなく家にいられなかったとする見方もあるが証拠はない。わからないと言わざるをえない。わからないが故に多くの人が、自らの来し方と「家遠し」の感慨を重ねて読むのだろう。随分遠くまで来てしまったな、と。

     淀川は改修で流れを変えた。故郷にできた「毛馬閘門こうもん」が往時の本流・大川との合流を管理する。

     朝、ゲートが開き、砂利船が淀川に出ていった。堤防にはランナーの姿がある。「水には上下の船あり 堤には往来の客あり」と蕪村が記した光景もこんなだったか。

     そこに、伊丹空港に向かって高度を下げてゆく飛行機の轟音ごうおんが聞こえてきた。(文・森川暁子 写真・岩佐譲)

    与謝蕪村
     1716年(享保元年)生まれ。55歳で師・早野巴人の跡を継いで一門の宗匠に。〈春の海 終日 ひねもす のたりのたりかな〉〈菜の花や月は東に日は西に〉など、だれもが知る句が多い。絵師としても、池大雅の「 十便図 じゅうべんず 」と対の「 十宜図 じゅうぎず 」(川端康成記念会蔵)を制作した。都の雪の夜景、「夜色楼台図」(個人蔵)とともに国宝に指定されている。蕪村の句に注目した正岡子規が「一般に知られたるは俳人としての蕪村に あら ず、画家としての蕪村なり」(「俳人蕪村」)としたように、かつては絵の方が名高かった。

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    2018年03月12日 09時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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