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    こまち20年…安全運行 守り続ける

    • 発車合図を出す主任運転士の斎藤さん(秋田市のJR秋田駅で)
      発車合図を出す主任運転士の斎藤さん(秋田市のJR秋田駅で)
    • 「こまちは息子のような存在」と話す整備士の長崎さん(秋田市楢山城南新町のJR秋田車両センターで)
      「こまちは息子のような存在」と話す整備士の長崎さん(秋田市楢山城南新町のJR秋田車両センターで)

     22日に開業20年を迎える秋田新幹線「こまち」。開業当初からこまちに携わってきたのが、JR東日本秋田支社の斎藤広彦・主任運転士(53)と、JR秋田車両センターの長崎幸也・車両技術主任(54)の2人だ。こまちとともに歩んだ20年間の思い出を振り返った。(大塚健太郎)

    ◆斎藤広彦主任運転士(53)-緊張感今も忘れない

     「憧れの新幹線。盛岡駅で別の新幹線に連結する時は特にどきっとした」。開業した1997年3月下旬、初めてこまちを運転した時をそう振り返る。開業当初は何もかもが手探り。自身も車掌から運転士になってまだ4年で、普通列車や特急とは速さや機器などが違うため、どうしたら安全に運転できるかで頭がいっぱいだった。

     「1キロたりともスピードオーバーするな」。高速走行の新幹線だからこそ、指導係の先輩からは少しの気のゆるみが命取りになると教わった。今では多少のスピードの乱れも機械が調整してくれるが、いざという時のため、「機械に頼らず、自分で運転する意識を忘れてはいけない」と後輩の運転士に教えつつ、自分にも言い聞かせている。

     秋田―盛岡間を約20年、運転士として往復し続けた。最高速度が130キロしか出ないこともあり、田沢湖周辺の紅葉や、時にはクマやカモシカなどの動物を見ることさえあったという。

     開業当時の緊張感は今も忘れていない。「20年間の運転士生活で得た経験を後輩に引き継ぎ、県民に信頼されるこまちを守りたい」

    ◆長崎幸也車両技術主任(54)-複数回、部品チェック

     こまちの車両検査を担当し、車輪が傷ついていないか、ブレーキパッドが摩耗していないかなどをチェックし、修理する仕事を20年間続けてきた。同僚は工業高校出身が多い中、普通科の高校出身で整備士に配属されただけに、「まさか新幹線の整備士を20年もやるとは思いもしなかった」と笑う。

     若手の頃から変わらないのは、必ず複数回チェックをすること。高速で走るからこそ、部品一つ一つに欠陥がないか、厳しく見なければならない。「いくら経験を積んでも見落としはある。検査のミス一つが大事故になりかねないから」。若手社員の気を引き締めるため、東北新幹線の区間を走る岩手県北上市に足を運び、在来線区間よりはるかに速く走る姿を見せている。

     20年間で数々の思い出ができた。東日本大震災の直後には、秋田に戻ることができなくなったこまちを点検するため、車で栃木県の車両センターまで行ったことも。「あれだけの震災だったから無事な姿を見たときは安心した」と話す。

     定年退職まであと5年ほど。「こまちあっての整備士生活だった。こまちの整備士として定年を迎えたい」

    2017年03月21日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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