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    子規・秋山兄弟の転機

    • 海軍兵学校時代の秋山真之の展示コーナーでは、生徒任命書や物理学筆記簿などが紹介されている(松山市の坂の上の雲ミュージアムで)
      海軍兵学校時代の秋山真之の展示コーナーでは、生徒任命書や物理学筆記簿などが紹介されている(松山市の坂の上の雲ミュージアムで)

     ◇明治20年代初頭に焦点<坂雲ミュージアム>

     ◇喀血後に文学志す■父の死に触れた書簡

     松山市一番町の「坂の上の雲ミュージアム」で、企画展「好古よしふる真之さねゆき・子規~明治20年代初頭」が開かれている。司馬遼太郎さんの小説「坂の上の雲」で主人公として描かれた松山出身の軍人・秋山好古、真之兄弟と俳人・正岡子規の3人が20~30歳代となり、転機を迎えた時期に焦点を当て、初公開の資料を含む約130点を紹介している。来年2月18日まで。(斎藤剛)

     同ミュージアムは常設コーナーで3人を紹介しているが、企画展で同時に扱うのは開館10年で初めて。

     1889年(明治22年)に大日本帝国憲法が発布され、日本が近代国家への道を歩みはじめた時代。陸軍に所属した秋山好古(1859~1930年)は87年、フランスに留学し、騎兵研究に励んだ。弟・真之(1868~1918年)は海軍兵学校で学んでいた時期で、卒業後の90年、和歌山県沖で沈没したトルコ軍艦の乗組員を同国へ送り届ける任務に就いた。

     子規(1867~1902年)は第一高等中学在学中の89年、病気で喀血かっけつ。「鳴いて血を吐く」と言われる鳥・ホトトギスを示す漢字「子規」を名乗り、文学を志すようになった。

     展示では、フランスにいる好古からトルコの真之へ宛てた91年の書簡などが初公開された。

     この書簡では、直前に亡くなった父の死亡通知状を好古がフランスの知人に配ったことに触れ、「東洋の一孤島にある親父おやじの名を欧州人に知らしめたのは、不幸中の一奇話」と表現。残された母については、真之の帰国が先になることから「帰郷後、老母を慰めてくれ」と記した。

     真之の展示では、海軍兵学校で受けた講義の内容を書き写した87年頃の「物理学筆記簿」や成績表、沈没したトルコ軍艦から引き揚げられた鍋などを並べた。トルコに到着後、幼なじみの子規らに宛てた年賀はがきも紹介している。

     子規の展示では、血を吐いた後も野球を続けていたことや帰省に鉄道を使ったことから、「子規が見た日本」をテーマに、当時の野球ボールやバット、鉄道のレールなどを展示した。

     同ミュージアムの川島佳弘学芸員は「明治20年代初頭は3人それぞれに何らかの変化が起こっていた時期。この企画展をきっかけに小説を読んでみようという人が増えれば」と話している。

     入館料は一般400円、高校生と65歳以上は200円。月曜休館(祝日の場合は開館)。問い合わせは同ミュージアム(089・915・2600)。

    2017年03月21日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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