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    諸石光照さん48(各務原市)

    • 車いすテニス・諸石光照さん
      車いすテニス・諸石光照さん

     ◇車いすテニスでリオデジャネイロ・パラリンピック目指す

     上半身をしならせ、サーブを放つ。巧みなチェアワーク(車いす操作)でリターンに食らいつき、力強くラケットを振り抜いた。

     ツーバウンドまでの返球が認められる車いすテニス。「あきらめなければ、とれる球もある。ラリーがつながるのが楽しい」という。練習仲間は「ボールを滑らせる、スライスがうまい」と評するが、両手の握力は10キロほど。ラケットは、右手にテーピングで固定してプレーしている。

     自動車部品製造会社の社員だった1997年1月、突然、手足のしびれに見舞われた。手足の神経がまひする難病「ギラン・バレー症候群」と診断され、即入院。約1か月後には、目がほとんど開けられない状態まで、筋力が落ちた。半年ほどは首から下が全く動かず、寝たきりの状態が続いた。手の指先、腕、と動かせる部分は徐々に増えたが、入院生活は3年半に及んだ。車いすに座れるようになり、退院した時の体重は40キロ。半袖を着るのが恥ずかしく、体育館へ通い、ベンチプレスで重りを付けずバーだけを上げ、衰えた筋力を鍛えた。

     小中学生の頃は野球少年で、社会人時代はスキーに親しむなど体を動かすことが好きだった。「何かスポーツがしたい」と各務原市の社会福祉協議会を訪ね、車いすテニスを勧められた。退院から約3年が経過していたが、最初はコートへ行くのがやっと。子ども用のラケットを使い、ラリーも続かなかったが、それでも「外へ出かけて、何かをするのが楽しかった」。週1日のテニスの練習が待ち遠しくなり、大会にも出場するようになった。

     転機が訪れたのは、2010年。周囲の勧めで、男子シングルスから、より障害の重い選手によるクアード(男女共通上下肢障害)クラスに転向。プレースタイルもこの頃から、ラケットをテーピングで固定する形に変え、力をつけた。12年のロンドン・パラリンピックに出場を果たした。

     大勢の観客が見守るセンターコートで行われたシングルス1回戦の相手は、地元・英国の金メダル候補の選手。雰囲気にのまれて敗退したが、ダブルスでは4位に入賞した。悔しさとともに、「次はメダルを」との思いが募った。来年のリオデジャネイロ・パラリンピックの出場権を獲得するため、これからは海外遠征が続く。

     国際大会だと、優勝しても交通費や宿泊費、大会のエントリー費が賄える程度。競技環境は厳しいが、「試合中はライバル同士でも、終わったら一緒に晩ご飯を食べに行く。各国の選手と交流できることも魅力」と話す。

     福岡県で今月開かれた大会で、世界ランキング1位の米国選手から初めて1セットをもぎとった。チェアワークを鍛え、今度は勝つのが目標だ。そのために、「今できることを尽くす」と力強く語った。(井沢夏穂)

     1メートル67、62キロ。愛知県一宮市や江南市などを拠点に週3回、練習する。昨年10月に韓国・仁川(インチョン)で開かれたアジアパラ大会で初優勝し、現在、クアードクラスの国内ランキング1位。県のパラリンピックアスリート強化指定選手にも選ばれた。母親と2人暮らし。趣味は野球観戦。

    2015年05月24日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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