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    岐阜市民病院・整形外科部長 宮本敬さん(52)

    • 背骨の模型を手にする宮本さん
      背骨の模型を手にする宮本さん

     ◆ミャンマーで支援活動を行う「背骨の修理屋」

     国内外で約3000件に上る脊椎などの手術に携わり、自らを「背骨の修理屋」と呼ぶ。

     勤務先の岐阜市民病院の支援を受け、今年1月7~15日、整形外科医が不足するミャンマーに赴いた。首都ネピドーなど2都市を訪れ、現地医師が見学するなか、脊椎の病気で寝たきりに近い現地住民ら計16人に対し、金属製の固定器具・インプラントを使うなどの脊椎手術を行った。

     支援活動は今回が4回目。ミャンマーに縁が深い三重大医学部の笠井裕一教授に誘われたのがきっかけで、2013年秋、初めて活動に参加した。

     当初は旅費は自己負担。医療機材はあり合わせのものしかなかった。それでも「岐阜を離れ、エネルギーが有り余った自分の限界に挑みたい」という挑戦心が体を動かした。

     ミャンマーでは、渡航の度に医師不足の現状に驚かされた。人口が200万人を超えるのに、整形外科医が3人しかいない州もあるという。「自分の技量を必要とする人が多くいる。患者のニーズに応えるという医療の原点を体感する」。一方で、少人数でも熱意ある現地医師の姿から刺激を受け、襟を正して帰国後の日常に向き合う。

     「手に職を」。サラリーマンになじめなかった父の言葉を受け止め、医学部に進んだ。学生時代、けががつきものの柔道とラグビーをしていたこともあり、整形外科の道を選んだ。外科や内科に比べて目立たない分野だが、所帯が大きくない分、伸び伸びとやれる。マイペースで職人気質の「修理屋」には合っていた。

     転機が訪れたのは1996年。インプラントを使い、がたつく骨を固定したり、曲がった骨を矯正したりする手術に出会った。昔ならば2年間寝たきりになるような患者でも、手術の翌日から歩けるようになる。その効力に目からうろこが落ちた。以来、米国で数年間の基礎研究に取り組むなど、インプラント手術を究める道を歩んできた。

     一昨年、長年勤めた岐阜大を離れ、患者との距離が近い市民病院へと移った。「ミャンマーへの支援活動も続けたいが、市民病院を岐阜の脊椎手術の聖地にし、次世代の優れた医師の育成に努めたい」と、大きな目標に夢が膨らむ。(茶山瞭)

     (メモ)岐阜市在住。岐阜大医学部卒。学生時代はラグビーとジャズの演奏に打ち込む。岐阜大医学部准教授などを経て、2015年4月から現職。学会の依頼を受け、全国各地で専門家を対象とした講演を行っている。

    2017年02月06日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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