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    【40】よろいを着た古代人 

    首長説 死の直前まで何を

    • 若狭徹さん
      若狭徹さん

     昨年12月10日、「渋川市金井東裏遺跡で、甲(よろい)を着た古代人の遺体発見」の報が日本を駆け巡った。遺体は古墳時代の人物で、西暦500年頃の榛名山大噴火で来襲した火砕流に埋もれ、山に向かって倒れていたのである。

     榛名山は古墳時代に2度大噴火し、山麓を厚さ数メートルの噴出物で埋没させた。約20年前の長崎県雲仙普賢岳の噴火では高温、高速の火砕流が山麓を焼き尽くしたが、往時の榛名山噴火はさらに大規模なものであり、右の人物はこれに巻き込まれたらしい。

     昨年12月12日、私は発見の現場に立つことができた。着装した甲は、小さな鉄板数百枚を革紐(ひも)で綴じた小札(こざね)甲(よろい)である。大和王権から配布された高級武具で、前方後円墳など限られた有力古墳から出土する。この人物が生きた5世紀には大変な貴重品であったから、「着装者は渋川地域の首長だった」とみる識者の意見には賛同できる。

     では、地震や鳴動などの予兆が続くなか、この人物は死の直前まで何をしていたのか。この問いに答えるには古代首長の実像を知る必要がある。「日本書紀」によると、6世紀初めに大王家存続の危機があり、これに際して群臣が北陸から実力者(継体(けいたい)天皇)を大王に迎えた記事がある。つまり、この時期には大王位すら不安定であり、人々に富や安寧を約束する実力をもつ者が、集団合意によって首長に推し立てられた。なかには女性首長も存在したようだ。

     首長は灌漑(かんがい)などの公共事業を主導し、農業、手工業、馬生産などの経済活動を行うと共に、大和や周辺首長との交易を通じて配下に富をもたらした。また、出土品や文献記事に祭祀(さいし)の比重が高いことから、神々(自然)との対話を重視し、集団に精神的な安心をも保障したことが分かる。

     首長の墓である古墳も決して搾取の産物などではなく、首長を担いだ集団の象徴と見るべきだ。だからあれほど不合理な巨大建造物が列島中に競って築かれたのである。

     火砕流に斃(たお)れた首長の生前行動の評価は、右のような首長と集団・王権・神々との関係を踏まえた歴史学・人類学的な考察が必要だ。取り上げた遺体の分析や周辺発掘の成果を待って再び論じたい。

    2013年02月03日 23時41分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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