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    【56】川の付け替え国境動かす

     渡良瀬沿岸の絵図 

    • 「下野九郡絵図」部分(個人蔵)=佐野市郷土博物館提供
      「下野九郡絵図」部分(個人蔵)=佐野市郷土博物館提供

     前回に引き続き、国境(くにさかい)に関わる話題を取り上げよう。

     現在の群馬・栃木両県にまたがる両毛地域の県境を、渡良瀬川に注目しながら眺めてみよう。太田・足利市より渡良瀬川下流地域では、同川が県境となっているが、太田市市場町付近から館林市上早川田町付近までは、栃木県側が渡良瀬川の南側に張り出す格好になっており、この間は矢場川が境界になっている。

     これを念頭に、江戸時代に時間をさかのぼらせてみよう。寛文8年(1668年)の上野国郷帳(ごうちょう)に載っている邑楽郡傍示塚(ほうじつか)・木戸・上早川田(さがわだ)・下早川田・足次(あしつぎ)(以上館林市)、除川(よけがわ)・西岡・西岡新田(以上板倉町)の8か村は、これよりさかのぼる慶安元年(1648年)の「東野地誌」を覗くと、下野国簗田(やなだ)・安蘇郡に記載されている。すなわち、右の8か村は慶安元年から寛文8年の間に、下野国から上野国に所属が変わっている。

     図は、「下野九郡絵図」(年未詳)の一部であるが、渡良瀬川の南側に、郷帳と同じ8か村が描かれている。上野国邑楽郡の一部が、かつては下野国に属していたことが、ここでも指摘でき、国境が変更になったといえる。

     それでは、いつ、いかなる理由で国境の変更がなされたのであろうか。後に5代将軍となる徳川綱吉が館林藩主の時代、寛文4年(1664年)に木戸村から上早川田村まで新川を開削し、この地点で矢場川の流れを渡良瀬川に合流するように付け替えている。それまでの矢場川は、東流して板倉低地をへて離(はなれ)村(板倉町)で渡良瀬川に合流していた。

     実は、この矢場川が上野・下野両国の国境であったが、付け替えの翌年に、上早川田村から下流は渡良瀬川が国境となり、下野国簗田・安蘇郡に属していた地域が、上野国邑楽郡に改められたという。さらに、付け替え以前の矢場川が、中世までは渡良瀬川であったといわれている。まさに、両毛国境は渡良瀬川の流れとともに移ろったといえる。

     なお、現在渡良瀬遊水地へと流れている渡良瀬川は、かつては除川村で南に折れ藤岡台地の西側を流れており、これが国境であった。現在の県境はこの名残である。

    2013年06月30日 00時42分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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