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    <5>残された家族の苦しみも

    • 細川さん(右)の話に耳を傾ける生田さん(5月13日、広島市中区の広島平和記念資料館で)
      細川さん(右)の話に耳を傾ける生田さん(5月13日、広島市中区の広島平和記念資料館で)

     生田弘子さん。生後2か月にも満たない時、現在の広島市東区牛田本町の借家で被爆した。子どもらに伝えるためには、もっと自分が「あの日」に近づかなければ、伝わらない――。その思いから、市が昨年5月に始めた被爆体験の伝承者養成事業に参加、研修を受け始めた。被爆者の思いを伝える「スピリッツ・ドナー」を掲げる男性被爆者の言葉に共鳴、今年度は希望した被爆者らによる個別の伝授を受ける。67歳。

     「被爆者の精神や魂をくみ取って、伝えてもらいたい」。広島市の伝承者養成事業で講師を務める細川浩史さん(85)(広島市中区)は4月11日、広島平和記念資料館で自身の体験伝承を希望する受講者らに語りかけた。

     細川さんは17歳の時、被爆。建物疎開中だった、妹の瑤子さん(当時13歳)を亡くした。「思い出したくも、触れられたくもない」。戦後、被爆体験はあえて封印。しかし、1990年頃、瑤子さんが県立広島第一高等女学校に入学した45年4月6日から原爆投下前日までをつづった日記の存在を知った横浜市の高校教諭から、何度も日記の出版を勧められた。

     入学式が挙行された…あこがれていた第一県女の生徒になったのだ。日本の女学生として…一生懸命に、がんばろう(4月6日)

     明日からは、家屋疎開の整理だ。一生懸命がんばろうと思う(8月5日)

     読み進めると、次第に生き生きした瑤子さんの姿がよみがえる。出版を断ってきたが、その気持ちにも徐々に変化が生まれてきた。

     「いずれ、私も消える。私が伝えないと、瑤子が忘れられてしまう。日記は瑤子がひたむきに生きた証しだ」。96年、日記の出版に踏み切った。

     「細かい事実、知識だけを身につけても、意味はない。多くの被爆者から話を聞き、消化し、犠牲者の無念さと生き残った者の心の傷を理解してもらいたい」。その気持ちをくんでくれる伝承者が育つことを、願っている。

     4月24日にあった、3回目の研修。生田さんは、細川さんが用意した父親を原爆で亡くした娘の罪悪感を扱った劇の録画を見た。

     「生き残っているのが申し訳ない。でも死ぬ勇気もない」「お父さんを見捨てて逃げた。幸せになる資格がない」

     娘役が発した言葉に、細川さんが重なる。妹を失った苦しみは、どれほどだったのだろう――。

     研修を通じ、原爆がもたらした別の一面を垣間見たような気がした。「犠牲者だけではない。生き残った家族の悲しみやつらさも伝えていかなければ」(川上大介)

    2013年06月01日 23時04分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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